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電子書籍と村上春樹 [村上春樹]

 職業がら、電子書籍の動向には、かなり関心を持って注目している。現時点においては、まだキンドルもiPadも日本には上陸していない。しかし、時間の問題だ。業界紙では、毎週のように、電子書籍の記事が大きく扱われている。電子書籍の登場で、出版業は大打撃を被る、というのが大筋の所だろうと思う。

 しかし、思うのだが、これまで本作りや販売に携わって来た人間たちが、自ら電子書籍の脅威を語るというのには、何か違うものを感じる。自分としては、書物を読む、という行為は今後も変わらないと思ったりする。業界の経営陣やオピニオン・リーダーたちには、書物という形や、読むという人間の行為の意義をもっと語ってもらいたいと思う。簡単に言ってしまえば、もっと本に自信を持つべきではないか、ということだ。

 もちろん、個人的に一ユーザーとしては、最新機器への興味もあるし、できれば早く電子書籍リーダーを使ってみたいとは思う。読みたい時にすぐにダウンロードして読めたらいいだろうし、一台の中に沢山の本を入れられれば、気分によって、読む本を選べる。それはスゴい便利だろう。でも、いざ購入する時に考えてしまうだろうと思うのが、バッテリーの問題と、通信料の問題だ。紙の本はかさばるかもしれないけれど、充電など必要なく、とってもシンプルな存在である。また、通信料に安くても月数百円かかるとすれば、それで文庫本くらい買えてしまう。

 そんなこんなで、旋風吹き荒れるが、おそらく本のすべてが電子書籍に乗っ取られるわけではないと思う。だって、そうなったら、つまらないと思う。

 ところで、この1月、有力書店によって構成される「書店新風会」が40年前から行なっているという「新風賞」という賞の発表があり、今回は『1Q84』を出版した新潮社と著者の村上春樹が受賞した、というニュースを先日『週刊読書人』で読んだ。この賞は「時代の思想・潮流を先覚し、また、活発な出版活動によって読者に大きな感銘を与え、書店売場の活性化に貢献した作品」を刊行した出版社と著者に授与される、という。

 1月8日の贈賞式で代読された、村上春樹の受賞挨拶の中に、わが意を得たりと思うフレーズがあったので抜粋したい。
書籍をめぐる状況は、昨今大きく変わりつつありますし、この変化の多くは一見して書籍にたずさわる者にとって、あまり喜ばしいものではないように見えます。以前の時代とは違って、私たちは実に多様な新しいメディアと競合していかなくてはなりません。一種の情報の産業革命の真っ只中に私たちは置かれているように見えます。そこには思いもよらぬ価値の組み換えがあり、地盤の変化があります。しかし、何がどのように変化しようと、この世界には書物という形でしか伝えられることの敵わない思いや情報が変わることなくあります。活字になった物語という形でしか表わすことの出来ない魂の大きな震えが変わることなくあります。僕はそのことを信じて、この30年間、小説を書き続けてきました。(『週刊読書人』2010年1月22日号)

 ちなみに、『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋、2007年)では、ジョギング中にアメリカではほとんどの人がiPodで音楽を聴いているけれど、自分はMDプレーヤーを使用しているというくだりがある。音楽というものとコンピュータとをつなげたくない、とたしか書いていたと思う。上の引用は、この音楽の感覚とも似た話なのかもしれない。とはいえ、アメリカのアマゾンでは、もちろん、村上作品のキンドル・バージョンがふつうに売られているのではあるが。

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