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W杯が終わった [W杯2010南アフリカ]

 スペインの優勝をもって、長かったような短かったような寝不足の日々が終わった。

 サッカーを見るのはおもしろい。試合が始まる前にどんな試合になるだろうかと予測をしたり、あるいは終わった試合をどう考えるべきかと分析してみたり、自分なりに納得できる答えを得られた時、その試合が自分のものになったような気持ちになる。今回、このワールドカップ2010南アフリカ大会の全体を自分のものにすることができたと言える、自分なりの発見は、ドイツとスペインであった。

 ドイツについては、プレミア・ファンゆえに長らくひいきにしているイングランドが、決勝トーナメント1回戦でドイツに負けてしまったこと、しかも屈辱的な4-1という大差による大敗であったことにより、俄然、関心を抱かざるをえなかった。

 なぜ、どうしてイングランドはドイツなんかに負けたんだ??と、わけが分からなかった。国内リーグにしても、ブンデス・リーガなんかよりもプレミア・リーグの方が断然、格が上だろう。それに、ドイツの選手はイングランドの選手に比べて、どう考えても世界クラスの選手が多いとは思われなかった。なんでそんな国に、イングランドはここまで苦しめられてしまったのだろうか、もちろん、ディフェンス陣が万全じゃないとかキーパーがダメだとか、ジェラードとランパードはうまく合わないとか、そうしたイングランド側の問題はあったにしても、とはいえここまで大敗したのはなぜなのか、とずっと気になっていた。

 そこで、次に行なわれたドイツの試合、すなわち準々決勝である対アルゼンチン戦を観戦した。

 この試合においても、なぜメッシを擁するアルゼンチンが、たかだかボッと出の若手が多いドイツなどに苦戦を強いられるのか、キツネにつままれたようだった。この自分のもやもやに、回答を与えてくれたのが、スカパー!で解説をしていたオシムのコメントである。

 オシムはこのように言っていた。
 すなわち、この試合は異なるサッカー哲学の戦いであった、と。つまり、組織で戦うか、個人で戦うかという哲学の違いである。あるいは、数の数え方に問題があったのではないか。11人で戦うのが良いか、1人で戦うのが良いか。当然、11人で戦う方が1人で戦うよりも強い。
 メッシは1人で11人のドイツと戦っていた。アルゼンチンの選手は、どこかメッシ1人が何かをしてくれると思っているようなフシが見られた。バルセロナにおいては、他の選手がメッシのプレーしやすいように動いている。一方、代表においてメッシは、1人で何かを成し遂げろというプレッシャーを背負わされている。
 一方、ドイツは全員で戦っている。ディフェンダーも攻撃参加するので、攻撃において数的優位になれる。クローゼは、今日は2点ゴールを決めたが、あれは組織のためにそれまで動いていたご褒美であり、ドイツにおけるゴールはクローゼが取っても他の選手が取っても同じこと、つまり誰が取ってもおかしくない、たまたまその人が取ったということに過ぎない。
 また、ドイツは南アに入ってから、とてもチームの雰囲気が良い、良くなっていると聞いている。それは、選手たちが過ごしやすいということ。つまり、選手たちが翌日の新聞になんと書かれるかということを心配していないということ。マスコミが、そういう不安を選手たちに与えないという協力をしている。国が全体として代表を支えている。マスコミも支えているのであろう。そうすると、選手たちは非常にプレーしやすい。選手たちは国民すべてから支えられていると感じることができるであろう。
 また、ドイツの組織プレーは、日本も非常に参考になる。今日の試合は、何かを得ようと思わなければ何も得られないが、得ようと思えば重要な教訓がある。日本ではメッシが非常な人気だそうだが、それはメッシのようにプレーすれば良いという誤解につながりやすい。本田をメッシに譬えたりされるが、マスコミがそのような間違った認識を流すことで、本田が自分のプレースタイルを、自分のすべきことを間違って理解してしまうことを恐れる、と。

 つまり、組織のサッカーが個人プレーのサッカーに勝つというのが、現在のサッカーなのである、ということなのだ。つまり、チームが組織化されていない限り、どれだけ有能な選手が複数いたところで、負けてしまう、ということなのだ。これで、イングランドがなぜドイツに負けたのか、自分としてはスッキリと納得できたように思った。

 ちなみに、オシムは、「今後ドイツと対戦する国は、どのように戦えばいいか」という質問に対して、こう答えていた。
 今日の試合では露呈しなかったが、ドイツのディフェンダー、センターバックの2人は足元が弱い。そこを突ける。また、ドイツのセンターバックは前線にフィードするタイプではない。また、ラームは積極的に上がって攻撃参加するので、その裏を突ける。ラームの上がったスペースに、脅威を与えられる選手を置くこと。ラームも疲れるので、頻繁に上下する中で、戻れないという時もある。そこを突ける。相手の弱みを見つけて攻めるのは、サッカーに限らず常識だ、とのことであった。

 そして、その次、準決勝でドイツが当たった相手がスペインだったのである。

 自分としては、先のオシムのコメントがあったので、今度はドイツをある程度は応援するような気持ちでいたのだが、なんとすっかりアルゼンチン戦の躍動が息を潜めて、スペインの良さが目立つ試合になった。あの、イングランドやアルゼンチンを大差で負かしたドイツに対し、スペインのこの落ち着いたパス回しはなんだ?!と、今度はそっちに驚くことになった。スペインは、中盤の底のシャビ・アロンソがサイドを変える大きなパスを出すこともあるのだが、前線のシャビやイニエスタたちは、もっぱらドイツの選手が大勢守っている中央の狭い所でパスをつなぐ。サイドからクロスを上げるなんてことは、それほどなく、ひたすら中央を細かいパス回しで崩そうとするスタイルが、それまで見ていた今回のW杯の試合とはまったく違い、新鮮に映って、非常に楽しく見られた。

 ちなみに、試合後のオシムのコメントも、またおもしろかった。
 曰く、ドイツは組織プレーの遂行を目指して戦ってきたチームであるが、皮肉なことに、累積警告で出場停止であったミュラーの代わりを誰もせず、結果、ミュラーという個人を欠いたことにより破れたのだ、と。

 3位決定戦の対ウルグアイ戦は、不覚にも前半のうちに寝てしまい、見られなかったが、3-2の打ち合いを制してドイツが勝ったという結果にまた驚いた。なぜなら、この試合は、ミュラーは警告あけで出場したものの、クローゼは故障、ラームやポドルスキーは風邪で出場できず、控えの選手が先発だったからだ。控え選手であろうと、組織の戦い方を十分に共有し、同等の結果を残せるということがスゴいと思った。
 ドイツは、スカパー!解説陣の聞きかじりだが、どうも2000年くらいに大きな大会で大敗していて、それをきっかけとして選手の育成システムを大きく見直し、その結果が今大会で活躍したミュラーやエジルなどの20歳そこそこの選手たちであるようだ。こうした各国における選手の育成についても、おもしろいトピックだと思うので、これからできれば注目したいけれど、そんな一般の本なんかないだろうな。

 また、話は飛ぶが、決勝において、スペインがオランダを下したことは、いろいろと見方や好みがあるだろうと思うが、自分としてはスペインが勝って良かったと思っている。なぜなら自分は、オランダが見せたような悪質な数々のファウルは、せっかくの試合をつまらなくするので、まったく賛成できないからだ。日経の記事では、ファン・ボメルのファウルをしたたかだなどとして否定せず、ファウルもプレーのうち、との考えが透けて見えるが、どうしても自分にはそのように思えない。

 スペインもまた、ドイツと同様に、チームの結束力が堅牢であった、ということだと思う。リーガ・エスパニョーラでは敵対しあうマドリーとバルセロナの選手が、このワールドカップでガッチリと共に戦う姿を見られるのはうれしいことだ。優勝が決まった瞬間、カシージャスとプジョルが抱き合う姿に感慨深いものがあった。

 ということで、陰の主役はオシム。この人のコメントに出会ったことが一番の発見だったかもしれない。

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ズバリ優勝予想! [W杯2010南アフリカ]

 開幕前に,ああでもない、こうでもないと予想してみた。難しいけれど,この予想で決定。

 優勝  スペイン
 準優勝 オランダ
 3位  アルゼンチン
 4位  イングランド

 ベスト8 (上記4カ国に加え)メキシコ ブラジル ドイツ イタリア

 決勝トーナメント進出
  グループA 1位メキシコ 2位ウルグアイ
  グループB 1位アルゼンチン 2位ナイジェリア
  グループC 1位イングランド 2位アメリカ
  グループD 1位ドイツ 2位セルビア
  グループE 1位オランダ 2位デンマーク
  グループF 1位イタリア 2位パラグアイ
  グループG 1位ブラジル 2位ポルトガル
  グループH 1位スペイン 2位チリ

 ポイント
  1)フランスはグループリーグ敗退
  2)ドログバ、エッシェンの怪我で、コートジボワールとガーナはグループリーグ敗退
  3)ポルトガルは、決勝トーナメント1回戦でスペインと当たり、敗退
  4)結果的に中米勢がアフリカ勢よりも優位
  5)南アフリカは,開催国初グループリーグ敗退


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2010ワールドカップ南アフリカ開幕! [W杯2010南アフリカ]

 いよいよ、ワールドカップが始まった!
 パチパチパチパチ!

 新聞に、もしかして6/11の開幕式にネルソン・マンデラが出席するかも、と書かれてあったので、もしやと思い、期待を込めてテレビをつけた。南アフリカでワールドカップが開かれて、その開幕式にマンデラが出席するなんて、自分の学生時代には考えられないことだった。感慨深いものがある。結果、マンデラは出なかったけれど、それでもそうした感慨に変わりはないし、開幕を迎えて、ようやく南アフリカで開催されることの意味を感じた。

 マンデラの代わりと言ってはなんだが、開幕式のショーには、何やら巨大な虫が登場した。「ん?ゴキか?いや、これはかつてどこかで見た……あぁ〜〜!ふんころがし、スカラベだぁ!」と思って見ていたら、なんと、巨大スカラベが巨大サッカーボールを糞に見立てて転がすというニクい演出。多くの古代エジプトファンは歓喜したと思う(わたくし含む)。ふんころがし(スカラベ)がなぜ古代エジプトで聖性を帯びたかというと、転がす糞が球形で、それが太陽を思わせるから。光をもたらす太陽は、古代世界では、言わずもがな、崇敬の対象だった。

 一部を見ただけだが、ショーは、南アフリカ一国の表現というよりは、アフリカ全土の文化・文明を表現するという趣旨のように見受けられた。巨大スカラベを使って、サッカーボールという希望の太陽を出現させるということに、これから発展へと向かうアフリカの未来への希望を感じさせられた。

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『1Q84』による、この世界への意味の付与 [村上春樹]

 『1Q84』BOOK 3 を読み終えた。
 結論から言って、自分はこの物語を承認する。肯定する。
 この物語は、村上春樹がこの世界を意味づけたものであると思う。

 読み終わって、直後に思ったのは、主人公たちはもとの1984年に帰還することができたが、われわれはどうなのだろう、ということだった。結局われわれは、サリン事件の後の世界、あるいは9.11の後の世界、すなわち何でも有りのこの世界に引き続き生きているのであり、彼らのようにもとの世界に戻るすべを知らないし、ここで生き続けるしかない。

 しかし、物語において、1Q84年はただ遺棄されたのではなかった。主人公たちは、1Q84年にも彼らなりの意味を付与したのである。1Q84年は単に論理が危険なほど通用しない世界というだけではなく、そこは彼らが必然的にそこを通過したがゆえに、それまで熱望していたものを手に入れることができた、そういう世界でもあった。1Q84年でしか彼らは自分たちの欲してきたものを得られなかったのだという意味、価値が付与されているのである。そこに、1Q84年にいまだ生き続けるわれわれにも、希望が与えられているのではないだろうかと思う。

 それでは、主人公たちが欲した、そのものとは何か。それは自分たちの再会である。1984年とは位相を異にしてしまった1Q84年という世界において、それが異空間であることを唯一示す「二つの月」。しかし二人の他にその指標は誰の目にも見えない。他の人間たちにとって、1Q84年は変わらず1984年のままなのであろうか。それが二人には分からない。とにかく、二人にとって、それはすでに変化してしまった1Q84年なのである。彼らはそれぞれに、この世界が1Q84年という〈異〉なる世界であり、危険な世界であって、そこから逃れなければならないと知っている。そうした二人が邂逅しえた、ということが重要な意味を示しているのだと思う。

 以下、以前ここに書いたことなどにからめて、思ったことを散発的に書き出してみる。

 ① 村上作品初とも言える女性の主人公

 村上作品における本書の位置づけとして、もっとも顕著と言える特徴の一つは、女性を主人公の一人にして、彼女の登場場面においては女性の視点で語っている点だと思う。もう一人の男性主人公については、これまでの村上作品に登場してくる男性と雰囲気はそれとなく似ていたりもするが、大きな変化は、その人物(男性)を内面から描くのではなく、外側から描いていることだと思う。しかも、この二人の主人公の中では青豆(女性)の方が天吾(男性)より状況をよく把握しているし、むしろ天吾は導かれるままというか、いまいち自分の置かれた状況をよく分かっていない。したがって、読者としては、どちらかと言うと女性の側に立って物語をハラハラしながら読むということになる。ちなみに、物語の中では彼ら自身もそのことを知っていて、最終局面において天吾は青豆に、自分が状況を知らなさすぎるのはフェアじゃない、と訴えている。

 ② 三人称という表現スタイル

 以前に書いたが、村上春樹はあるインタビューで、若者を描くにあたりウソをつきたくないから三人称で書くように変わって来たと語っていた。それを念頭に置けば、女性を主人公の一人とした本作品が三人称形式で書かれたことは必然だったのだろう。さらに、そうした三人称のスタイルを強調するような表現として、なんと作者目線が出てくる箇所が三カ所あり、これには「これが村上作品なのか!?」という感慨があった。339頁と455頁では、登場人物たちがニアミスする場面で、作者の目が登場し、「もしこうであれば、こうなった」と状況を明確に説明するのである。また、566頁では、「リトル・ピープル」の顔を説明するにあたり、「あなたや私とだいたい同じ顔をしている」と、作者と読者を引き合いに出しているのである。これは、これまでの村上作品ではありえなかった手法で、正直けっこう驚いた。アクロバティックな説明手法というか、一見、素人っぽい語り口になりそうな所なので、実験的というか、新鮮な印象を受けた。

 ③ 小説・物語・書物の可能性

 この作品の中にはもう一つの作品が登場する。主人公の一人、天吾は小説家の卵である。その彼が関わって発表された小説を中心にして物語が展開していくのであり、物語の入れ子構造となっている。その物語内物語の非常に重要な位置づけから、世界における物語のもつ重要性というものを感じた。小説という題材を使いながら、非常にリアルな世界を描いたと思う。それは、すなわち、小説・物語・書物のもつ可能性を示した、というふうにも取りたい。

 ④ 村上は老年を描けるかという問題

 本作品には、老若男女が登場する。主人公は三十歳の男女ではあるが、だからと言って彼らだけを描くのではない。そこには、天吾の死にゆく父がおり、青豆に関係する七十代の「老婦人」がいる。物語の中では、彼らの人生をも丁寧に、いくつかの視点から、重層的に描かれる。したがって、以前このブログでは、村上春樹はなぜ若者ばかりを書いて中年や老年を描かないのかという疑問を記したが、村上は決して中年や老年を書けないわけではなかったのだ。その点は、ここできちんと訂正しておきたい。

 ⑤ 作品で宗教を描くということ

 この物語における宗教の位置については、なかなか難しいなあという所である。
 BOOK 3 まで読んでみて、ひとまず思うのは、やっぱり、一方では、結局この作品において宗教は、ファンタジーの源泉という位置づけ以上の意味はないのではないかとことである。つまり、物語におけるファンタジーの出どころとしては、特に宗教でなくても良かったのかもしれないし、この作品において宗教はあくまで背景にしか過ぎないのではないかとも思う。 
 しかしまた一方で、物語の中でいくつかの死を扱う上で、やはり作者が宗教を欠かせないと考えたのではないか、少なくとも宗教を扱うのが自然だ、ふさわしいと考えたのではないかとも思う。しかし、ここでいう意味における宗教は、カルト教団の中に登場するのではなく、むしろカルト教団の外部において、青豆やタマルの中に、カルト的に何かを信奉するのでははい、懐疑をも含んだ現代的な敬虔さという形をとって登場するように思った。
 とはいえ、カルト教団から出てくるファンタジーについては、「リトル・ピープル」を筆頭に、いまだ謎が多いし、カルト教団的なる〈宗教〉についても、ファンタジーの豊かな源泉として、この物語においてはもちろん非常に重要な存在であるとは言える。

 以上のように、数々の不思議な問いを含み込みながらも、最後は物語を予測のつかない形で見事に収束させ、世界に肯定を与えた本作品によって、おそらく村上春樹は小説家として数段高いステージに上がったと思う。いくつもの問題が雑多に混淆し展開するこの長編小説は、村上春樹いうところの総合小説の、少なくとも一端を示してくれた。『1Q84』は、同時代に読むにふさわしい物語であった。

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加藤周一『羊の歌』『続・羊の歌』 [本]

 一年以上前から下書き状態にしていた記事を、久しぶりに開いてみた。
 いま読んでみると、自分なりにけっこう面白かったので、過去の話題ではあるが、ここに掲載しておきたいと思う。

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 2008年が岩波新書の創刊70周年ということで、『図書』2008年11月号の臨時増刊号で何人かの文筆家が、『羊の歌』をお薦めしていた。それで、初めて、加藤周一を読んだ。

 実に愚かしいことだが、これまで加藤周一については、「読まなくても、おおよそ分かる」などと思いなしていた。「どうせ、岩波文化人の言ってることだ、だいたい想像がつく」と。しかし、である。加藤周一を知ってみると、この人は、ここでわざわざ言うまでもないことなのであるが、あえて僭越ながら言わせてもらうと、たいへんスゴい人物である。本当にビックリするほど貴重な人だと思う。何が貴重かと言うと、もちろん、日本の言論界において洋の東西の学術・文化に通暁した稀有な人物であるというのはさることながら、極私的な意味合いにおいて言うなら、これほど自分がその書いたものに共感できるという著作家はいないのではないか、という感じなのである。

 『羊の歌ーーわが回想』(岩波新書、1968年8月)は、加藤周一の自伝である。ひつじ年生まれということでタイトルは付けられている。『羊の歌』が幼少期から戦争終結まで、『続・羊の歌ーーわが回想』(同、1968年9月)が戦争直後から1960年くらいまでである。自伝と言ったが、思い出の記ではない。言ってみれば思考の記録、のようなものである。たとえば、一高時代の話が出てくるが、よく有りがちな、優等生が仲間と過ごした青春時代を感傷的に振り返るようなものでは全くない。もう全然違う。一高生のいくつかの馬鹿げた風習をはっきりと批判していて、おそらく一高の中で孤立した異色の存在であったのではないかと思われる。

 また、『羊の歌』を読んで特にグサリと来るのは、戦時中、言論統制がしかれる中で、加藤が戦争に浮かれる東京の人々の間にあって、学生仲間とともに戦争への批判を行なっていたことと、冷静に戦局を読んでいたということである。この時代に、このような思考をすることができた人物が日本にいた、ということが驚きである。ここの所は、第2次世界大戦という過去の話ではあるが、妙にリアリティーをもって読まされる。

 思ったのは、社会が閉塞し、言論統制がされるのは、なにも昔の戦争中だけのことではないということだ。社会なんて大きなことを言わなくても、身近なコミュニティーでもありうる。言いたいことが言いにくい雰囲気があったり、自分の本当の意見を隠しておいた方がいいという選択をすることもある。選択とは、ここで自分の意見を言う方が得か、言わない方が得か、という計算であり、表現と立場の維持とを天秤にかけて、後者を取る、ということである。そういう中にあっても、いかに自分を偽らないで、本当のことを言っていくか、ということ。いつも言葉をごまかしていると、いつの間にか自分の考えや意見が無くなってしまうんじゃないだろうかという怖さがある。いつの間にか、自分が自分でなくなって、つまらない人間になってしまいそうな怖さである。

 『続・羊の歌』では、終戦直後の東京の様子と、加藤が医学研究生としてフランスで過ごした日々の思考である。ヨーロッパ各地を経巡り、彼自らの眼で、その背後にある思想にまで思考が及んでいく様子が記される。「中世」がまだ生きていることを発見する。滞在費を工面するためにやっていたフランス語通訳の仕事を通して、日本からやってきた作家や社会運動家と、フランスの作家・運動家との議論の食い違い、根本的な発想の違い、またイギリスでの滞在では、道義と政治とどう関係させるかということを覚える。この辺も非常に面白い。

 そういうことで、夜寝る前に布団の中で読むには、たいへん心地の良い本。このあとは、加藤周一のどの本を読もうかと考え中です。

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 最後の部分は、まだ「考え中」。やはり王道としては『日本文学史序説』(ちくま学芸文庫、上下)かなと思ったが、現在、『加藤周一自選集』(岩波書店、全10巻)の刊行も始まり、どうしたものかという感じで、しばらくはペンディング、またそのうち気が向いたらと思います。

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『1Q84』BOOK 3 を読み始めた [村上春樹]

 『1Q84』BOOK 3 発売日の4月16日。金曜日。
 朝7時のNHKニュースは、この3巻目の刊行をトップ・ニュースで扱った。

 そんなこと、前代未聞ではなかろうか。
 テレビからは、開店時間を早めて販売する東京・神保町の三省堂の様子や、人々が出勤前に列を作って購入する風景が生中継で映し出された。書籍取次最大手のトーハンを取材したVTRでは、『1Q84』BOOK 3 が、公式発売前の流通過程で内容がさらされないよう、通常ありえない箱詰めで出荷されていく場面が流された。

 そこまでやるか、新潮社。まさか、派手ぎらいの村上春樹自身が、こうした販売手法を自ら希望するはずはない、と思うのだが。

 そして当日夜、うちにも、ネット書店で予約していた本書が届いた。

 目次を見て、本文を1行読んで、ことの次第が飲み込めた。これはただものではない。ダン・ブラウンばり、ページターナーの予感が……。これってほとんどミステリーじゃないか。派手な販売手法も、まったく理由がないというわけではないのかもしれない、と思ってみた。

 半分ほど読み進んだ現在、今のところ、大きな破綻はない。さて、この先どうなっていくのだろうか。早く決着をつけたいような、つけたくないような、微妙な心境の今日この瞬間。結末で破綻という事態だけは避けてくれ、と願う気持ちです。

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外山滋比古先生に励まされる [子ども]

 といっても、直接お会いしたわけではない。新著の『「マイナス」のプラスーー反常識の人生論』(講談社、2010年1月)を読んだからである。

 外山滋比古先生は、昨年からその著書『思考の整理学』(ちくま文庫)がブームになっている著名な英文学者である。1923年生まれというから、今年87歳を迎えられることになるお人だ。ここまで生きて来られて、しかも現在もごくふつうに平易な自らの言葉でかつ知的な執筆活動を行なっているということで、妙に書かれたことには納得させられてしまう。

 「まえがき」によれば、外山先生は、9歳でお母さんを亡くされたということである。よく、自分を不幸だと嘆く若者がいるが、自分も思えば9歳で親を亡くすということは不幸なことであった。しかし子供であるから、不幸ということも知らなかった。たんたんとその苦労を忍んで来られたのであろう。何十年かして、これは母が死をもって与えてくれた、ありがたい経験だったのだと思うようになったという。大きな悲しみ、苦しみを乗り越えてきたのだと思うと、それが大きな自信になり、その後も不遇があってもへこたれずにやって来られたのだという。

 そして、本文では、いかにマイナスでスタートした人間がその後プラスに転換していくか、それとは逆に、初めにプラスでスタートした人間がいかにその後パッとしないかということが、数々のエピソードによって語られていく。つまり人間は、逆境の中で耐え抜くという経験を通して成長するものだ、ということなのである。外山先生は、筑波大学の前身である東京教育大学で主に教鞭をふるわれたが、東京教育大学は学校の教師を育成する大学であるので、自ずと外山先生の学生もほとんどは教師になったのだろう。卒業生から、よく教育現場の話をお聞きになったのではないか。そのご経験からか、子供の教育に関するエピソードが目立つように思う。

 ひるがえって、自分と子供との付き合い方を考えてみるに、自分はなるべく子供には悲しい思い、つらい思いをさせたくないと思って振る舞ってきたように思う。そのために、できるだけ子供の要求を聞いてやりたい、と思ってきた。しかし、そんなことは無理があるのは歴然としている。小さな子供は悪意はないが、自分の勝手な要求のオンパレードなのだから。

 たとえば保育園の送迎時に、ベビーカーに乗りたくない、抱っこして欲しいとせがまれるとする。でもこちらは荷物もあるし、ベビーカーも押さなくちゃいけないし、腰は痛いしで、抱っこはできないことを言葉と態度で教えさとした上で、決して嫌いだからじゃなくて、大好きなんだけど、できないんだと話す。しかし、そんな話が通じる世界に子供は生きていない。時に納得してくれても、時に納得せず、路上で大泣きして、叫びまくることとなる。子育て経験者なら、どなたでも、ご経験がおありと思う。他の方はどうだか知らないが、実のところ自分は、こうした状況に、むしょうに腹が立ってしまう。子供が悪いんじゃない、そんなことは分かっている。誰が悪いんでもない。ただ、状況にいら立つのである。先日は、子供の強烈な要求をのんでおんぶしたものの、気持ちを鎮めるために、思わず無人のベビーカーを何度か蹴り飛ばした。

 なぜ、自分はこうなるのかを考えてみると、とことんまで子供の要求を聞いてやりたい、聞いてやらなきゃいけないと思ってしまうからなのではないかと思う。だから、限界まで我慢してみるのだけれど、すぐに破綻してしまうということなのではないか。なぜ、子供の要求を限界まで聞いてやりたいと思うのか、それは子供がかわいそうだと思うからだと思う。こんなに泣かせていいのか、と思ってしまっていたのである。

 しかし、である。外山先生のいう、逆境でこそ人は成長する、と考えれば、多少子供に我慢をさせて、泣かせておいてもいいのだと思った。すべてが満たされていてはいけないのである。

 そして、自分の幼少時代を思い返してみた。自分の実家は、今のうちと同じで、両親が共稼ぎで、やはりうちの子供と同じ0歳児から保育園に通い、小学校低学年は学童に、高学年以降はかぎっ子だった。だから、平日、親がいないという心細さと、それに伴う緊張感というのは鮮明に覚えている。外山先生的に考えるなら、自分にとっては、この心細さ(緊張)というものとかなり古くから付き合っていると思った。心細い状況には敏感で、人よりも一層心細く感じるようにできていると思う。でも、心細いのに耐えるということには慣れているのかなと思った。ポジティヴに考えれば、こうした耐性のお蔭で、今の仕事においても、数々の心細さを経験しながらも、なんとか続けていられるのだと思う。

 振り返ってみると、意識はしていなかったけれど、自分が味わった、一人でいる心細さや寂しさを子供には味合わせたくなくて、子供と一緒の時はできるだけ子供に悲しくないようにしてやろうと思ってしまっていたのかもしれない。そしてそれができようはずもないので、板挟みで押しつぶされてしまっていたのだと思う。

 外山先生の本を読んで、親が子に対して万全なものを与えることは却ってよろしくないという、開けた気持ちになった。

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ダン・ブラウンで睡眠不足 [本]

 ダン・ブラウン『天使と悪魔』(角川文庫、原書2000年)を読んだ。

 この本は危険だ。

 なにが危険かと言うと、読者の息をもつかせぬめくるめく展開、山場の連続で、途中でやめられないのである。夜、布団の中で読んでいたが、区切りがつかず、どんどん読んでしまうので、読み終わるまで連日睡眠不足がちであった。

 『ダヴィンチ・コード』(角川文庫、原書2003年)を読んだ時は、ああルーブル美術館に一度は行ってみたいと思ったが、本書では、ローマおよびヴァチカンを巡ってみたいと思わせる。

 本当に、欧米のベストセラーとは恐ろしい。ここまで激しいストーリー展開って何?!という感じ。あれは、本当にダン・ブラウン氏一人で書いているのであろうか。一人であそこまで荒唐無稽な壮大な構想を描き、結末まで収束させることができるのだろうか。疑いのまなざしを持ってしまうほどの内容である。

 しかし、この本を読み始めてしまったがために、数日分の読書時間が水泡に帰した気がする。『ロスト・シンボル』(角川書店、原書2009年)は、くれぐれも手に取らぬように、用心せねばと思うこの頃です。

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苅部直『丸山眞男』 [本]

 苅部直『丸山眞男――リベラリストの肖像』(岩波新書、2006年、サントリー学芸賞受賞)を読んだ。

 丸山真男については、学生時代に岩波新書の『日本の思想』を読んだ記憶があるだけで、それも恥ずかしながら内容はあまり覚えていない。だから、本書を通して初めて丸山真男とは何者かというクリアな印象を与えられたように思う。本書を読んで、興味を持った点、共感した点、少なからず感銘を受けたと思われる事柄について、簡単に書き出しておきたい。

 ① 丸山真男の人となり、すなわち生い立ちと学生時代について

 最初に、まず意外だったのが、丸山真男の父、幹治が新聞記者であったことである。父は新聞社を転々としているのだが、最初期に勤めたことがあるのが、陸羯南(くが・かつなん)が社長兼主筆をつとめた新聞「日本」であるという。昨年12月にNHKで放送された司馬遼太郎の「坂の上の雲」のドラマで、正岡子規が、この新聞「日本」の記者として登場してきたので、自分の中ではタイムリーだった。

 学生時代についてだが、青年丸山はマルクス主義者でも、左翼でもなかった。ただ、父の知り合いであった長谷川如是閑を尊敬していたというだけである。誤解から特高に捕まったという苦い経験があるが、しかし、マルクス主義にシンパシーはなかった。東京帝国大学の学生であった当時の丸山は、自由主義知識人の方が、政府や国粋主義者からの抑圧にあってバタバタと寝返っていく左翼知識人よりも厳しく節を守って抵抗している、と見ていた。戦後の回想では、口で言っている思想だけでは分からないものだと語っている。その一方で、父の交遊の関係で、天皇への親近感と崇敬もあった。戦後直後、この気持ちを断ち切るのに、意外なほど苦労している。

 ② 現実の政治に対する態度決定について

 市民の政治へのコミットについて。丸山は戦後直後結核を起こし、結核療養所に入所していた時期に、診療費値上げに反対する患者たちの反対運動に身近に接する機会があった。また1960年の日米安保条約改訂反対運動に、一人の論客として参加した。これは、有名な演説「選択のとき」としてよく知られているとのことだ。こうした体験から、いろいろと思い悩みつつ、市民の政治活動については非常に現実的で冷静な見方をしていた。

 特に注意を惹かれたのは、市民は元来保守的なものであって、政治へのコミットは必要に迫られてのイヤイヤながらのものである、という丸山のコメントである。ここで丸山が気にしたのは、いわゆる市民運動と言いつつも、もっぱらそれに専従する言わば「プロの市民」によって運動が先導されていることの不自然さである。市民は、その時々の行政に対する要求に応じて、職場なり地域なりで、その時々で結束し、議員に要望を伝えるなり署名を集めるなりして目的を達すれば、また散会し、また何かあれば目的に応じて集う、そのようにするのが本来市民的な政治へのコミットであると言う。それで良いんだ、と言う。丸山が恐れていたのは、「市民」が暴徒化し、ポピュリズムに陥ることであったようだ。実際、1960年安保闘争の時に、いっしょに首相官邸に入った清水幾多郎がさらなる座り込みで首相との面会を求めようとするのに対して、丸山は、「清水さん、こういうのは自分の趣味じゃないし、民主主義にも反すると思うんだが」と言ったという。

 ③ 丸山の学問的関心について

 丸山は、政治思想史の研究と政治学の理論的研究を二つながら合わせて論究した人なんだと思う。そして、それらの学問的関心は、丸山自身の現実政治への態度決定と不可分に結び合っていたように感じられる。丸山の追究したテーマは、今この時代にも通じるようで、読んでいて新鮮だった。そうした丸山が追究した学問的テーマの中で、自分が今後少し考えてみたいと思わされた題材を二つを取り上げたい。

 一つは、丸山真男が早い段階、助手論文時代から論究していた、国家と個人の間に位置づけられる「人間仲間」という中間集団である。この言葉は、福沢諭吉による「ソサエティー」の訳語であると本書には書かれている。これは、国家によって個人が牛耳られないように、また個人が個々の利己的な方向に暴走しないための倫理性の管理としての関係性として丸山が設定したものであり、結局丸山の生涯を通じた思想の一つの柱になったようである。国家と、個人の間に設ける中間的集合体。しかし、これは、個人を縛ることになる可能性もあるように思われるが、どうなのだろうか。国家がはっきりとした弾圧を加える前に、周囲の人間関係が圧力を加えるということの可能性が高いという気がする。単純な人間の集団でも、結局は異なるものを排斥しようとするし、それほど簡単ではなさそうに思えた。

 もう一つは、丸山が悩んだ西洋的個人主義について。上記の事柄とも非常に関係するが、丸山は、人間の理性についてどう考えたらいいかということを悩んでいたようだ。
 座談では、「伝統的個人主義をいわゆる原始的な個人主義として見れば、全ての人間に備わっている理性というようなものによってくくられてしまう。ですから、啓蒙の個人主義をつきつめていくと類的人間になるんですよ。そういう普遍的理性によってくくられない個、ギリギリの、世界に同じ人間は二人といないという個性の自由は、むしろ、啓蒙的個人主義に抵抗したロマン主義が依拠した「個」です。この西欧的な個人主義に内在する矛盾の問題はぼく自身も解決がつかない。」と語っているという(本書192頁に引用)。
 これについては、もちろん歴史を経て現在を生きているわれわれとしては、近代的理性、近代の個性礼賛を前提に考えざるをえないのではあるけれど、それでももし丸山が西洋近代から遡って、西洋中世の人間観をかいま見いていたら、現代にどのような方向性を見出していたのだろうかと思った。
 
 以上、本書を読んでいる間は非常に高揚していたが、こうしていざ書いてみると、なかなかうまく行かず、書き始めてから、放置期間も入れて一月かかってしまい、結局高揚感をうまく表現することができなかった。ただ、要するにまとめると、一番言いたかったのは、丸山真男が常に、この日本という国でリベラルであるとはどういうことかを考え続けたということが、自分にとってとても大きかったということです。

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勝間和代さん考

 2月25日(木)放送の「知る楽仕事学のすすめ」(NHK教育)をたまたま見た。久しぶりにこの番組をつけると、勝間和代が藤巻幸夫のインタビューを受けるというスタイルに変わっていた。勝間さんについては、最近の出版物の傾向にいまいちついて行けず、静観気味に眺めていたのだが、この番組を見て、今一度改めて勝間さんという存在について考えたので、記しておきたい。

 勝間さんは、マッキンゼーでがむしゃらに働いて来たが、あるとき仕事の目的を見失い、38歳で退社、独立した。その時、自分の「人生ミッション」を考えたという。自分はこれまでコンサルとして、問題解決を行なって来たし、これからも自分がやりたいのは問題解決だ、そして、この社会の一番の問題は、女性が働き続けられないということだ、と設定した。

 勝間さん自身、子どもが生まれた時に会社からパートになるよう言われたり、コンサル時代には、自分は少ない方だと前提したが、単に女性だということだけで担当を外されたということがあったという。社会のそういう明白なおかしいことを解決しよう、自分の子どもたち(娘さん3人)が成長した時には少しはましな社会にしたいと思ったという。

 そして、ここからがミソなのだが、では、その解決方法として、勝間さんはどのような方法を取るべきだと考えるか。勝間さんは、そうした社会的劣勢の立場に置かれるマイノリティー、社会的弱者の問題は、識者が手を差し伸べて法整備をするということでは解決しない、と語る。そうした弱者の側が立ち上がって、自分で自分の権利を主張し勝ち取っていかなくてはならない。それが、彼女の主張だ。

 そうか!と、ここで膝を打った。つまり、最近の勝間さんの本がやたら顔写真が多く、かつ大衆に迎合したような書名だったりするのは、広い裾野の読者を対象にして、大勢を立ち上がらせようとしているからなのだ。紅白の審査員も、そうした目的に合致するのであろう。だから、こうした彼女の手段については、しばらく見守っていくべきだと思った。むしろ、こうした勝間さんの活動に対して、否定的な見方も少なくない状況においては、積極的に擁護していかなくてはいけない。なぜなら、勝間さんの語っているような内容を、他の誰も、このようにテレビで語ってくれる人などいない。誰が、彼女の言っているように、この社会は子持ちの女性に厳しいとか、男性は働き過ぎだとか、明らかにおかしいけれど誰も言わないことを堂々とテレビで言ってくれるだろうか。彼女がいかに節操なく顔写真を本の表紙に使おうが、そんなことは些末なことなのだ。

 勝間さんの活動は、テレビや出版に限られない。中央大学大学院でMBAのコースも持っている。番組では、その授業風景も映し出した。受講者は主に企業の法務・人事担当の部署に所属する社会人学生だという。そこでのトークの中にこうあった。1)日本では女性にも割と教育費をかけて、高学歴の教育を受けさせるが、それが社会に還元されず、眠っている。2)日本でも企業に聞くと、女性(働く母親)の活用を行なっているという。しかし、それはワーキング・マザー用に用意された「マミー・トラック」と呼ばれる仕事で、全くの対等な職種ではない。自分としては、そうしたマミー・トラックが良いのか、それとも男性と同じ仕事が良いのか、というのは判断が付いていない。学生の皆さんと講義を通じて意見を交換することで、探っていきたい、と。ここでのポイントは、勝間さんすら、母親の働き方についての最善策をまだ知らない、ということだ。ましてや、視聴者である自分が分からなくて模索して当然と言えて、なぜかホッとした。

 番組では、他に、勝間さんが始めた、仕事を持つ母親のための情報サイト「ムギ畑」の話もあった。働く母親は必ず問題に直面する。しかし、どういう困難が持ち上がるかということを前もって知っていれば、パニックにならなくて済む。勝間さんは、0と1とでは随分違うと言う。もちろん困難は1なんかじゃなくて、100なんだけれども、それを全く知らないのと、少し知っているのとでは全然違う。自分としては、自分が経験した事柄について、自分の5歳下、10歳下のワーキング・マザーにも伝えていきたい。なぜなら、彼らも自分と同じ困難に必ずぶつかるはずだから、ということだった。

 そういうことで、以上をまとめると、今回はテレビ番組を通じて、改めて、勝間さんの強い目的意識を感じた。つまり、最近の著作を見るにつけ、とうとう売れる方向に鞍替えして、儲けに走って、ナルシシズムに行っていると思っていたけれど、今回のトーク番組を見て、彼女の根幹というのはそうではなく、やはり社会改革だったのだと思った。とはいえ、彼女が言っていることは当然のことだし、彼女の扱っている問題自体は特に新しいことではない。古くからある問題なのだ。だがしかし、繰り返し言うと、彼女の他にこうした事柄について、堂々とテレビで啓蒙している人はいない。そういう意味で、すごく貴重な存在だし、意義があるのであって、これからもその方向で、どんどん頑張って行って欲しいと思う。

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