イルカくんの日乗
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村上春樹をメインテーマに掲げて始めたブログですが、今はその他の読書や日々の雑感など、書きたいことを好きなように書いています。どうぞ、ヨロシクお願いします!
イルカくん
2010-07-14T00:43:10+09:00
ja
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W杯が終わった
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2010-07-14
スペインの優勝をもって、長かったような短かったような寝不足の日々が終わった。 サッカーを見るのはおもしろい。試合が始まる前にどんな試合になるだろうかと予測をしたり、あるいは終わった試合をどう考えるべきかと分析してみたり、自分なりに納得できる答えを得られた時、その試合が自分のものになったような気持ちになる。今回、このワールドカップ2010南アフリカ大会の全体を自分のものにすることができたと言える、自分なりの発見は、ドイツとスペインであった。 ドイツについては、プレミア・ファンゆえに長らくひいきにしているイングランドが、決勝トーナメント1回戦でドイツに負けてしまったこと、しかも屈辱的な4-1という大差による大敗であったことにより、俄然、関心を抱かざるをえなかった。 なぜ、どうしてイングランドはドイツなんかに負けたんだ??と、わけが分からなかった。国内リーグにしても、ブンデス・リーガなんかよりもプレミア・リーグの方が断然、格が上だろう。それに、ドイツの選手はイングランドの選手に比べて、どう考えても世界クラスの選手が多いとは思われなかった。なんでそんな国に、イングランドはここまで苦しめられてしまったのだろうか、もちろん、ディフェンス陣が万全じゃないとかキーパーがダメだとか、ジェラードとランパードはうまく合わないとか、そうしたイングランド側の問題はあったにしても、とはいえここまで大敗したのはなぜなのか、とずっと気になっていた。 そこで、次に行なわれたドイツの試合、すなわち準々決勝である対アルゼンチン戦を観戦した。 この試合においても、なぜメッシを擁するアルゼンチンが、たかだかボッと出の若手が多いドイツなどに苦戦を強いられるのか、キツネにつままれたようだった。この自分のもやもやに、回答を与えてくれたのが、スカパー!で解説をしていたオシムのコメントである。 オシムはこのように言っていた。 すなわち、この試合は異なるサッカー哲学の戦いであった、と。つまり、組織で戦うか、個人で戦うかという哲学の違いである。あるいは、数の数え方に問題があったのではないか。11人で戦うのが良いか、1人で戦うのが良いか。当然、11人で戦う方が1人で戦うよりも強い。 メッシは1人で11人のドイツと戦っていた。アルゼンチンの選手は、どこかメッシ1人が何かをしてくれると思っているようなフシが見られた。バルセロナにおいては、他の選手がメッシのプレーしやすいよ..
W杯2010南アフリカ
イルカくん
2010-07-14T00:43:10+09:00
サッカーを見るのはおもしろい。試合が始まる前にどんな試合になるだろうかと予測をしたり、あるいは終わった試合をどう考えるべきかと分析してみたり、自分なりに納得できる答えを得られた時、その試合が自分のものになったような気持ちになる。今回、このワールドカップ2010南アフリカ大会の全体を自分のものにすることができたと言える、自分なりの発見は、ドイツとスペインであった。
ドイツについては、プレミア・ファンゆえに長らくひいきにしているイングランドが、決勝トーナメント1回戦でドイツに負けてしまったこと、しかも屈辱的な4-1という大差による大敗であったことにより、俄然、関心を抱かざるをえなかった。
なぜ、どうしてイングランドはドイツなんかに負けたんだ??と、わけが分からなかった。国内リーグにしても、ブンデス・リーガなんかよりもプレミア・リーグの方が断然、格が上だろう。それに、ドイツの選手はイングランドの選手に比べて、どう考えても世界クラスの選手が多いとは思われなかった。なんでそんな国に、イングランドはここまで苦しめられてしまったのだろうか、もちろん、ディフェンス陣が万全じゃないとかキーパーがダメだとか、ジェラードとランパードはうまく合わないとか、そうしたイングランド側の問題はあったにしても、とはいえここまで大敗したのはなぜなのか、とずっと気になっていた。
そこで、次に行なわれたドイツの試合、すなわち準々決勝である対アルゼンチン戦を観戦した。
この試合においても、なぜメッシを擁するアルゼンチンが、たかだかボッと出の若手が多いドイツなどに苦戦を強いられるのか、キツネにつままれたようだった。この自分のもやもやに、回答を与えてくれたのが、スカパー!で解説をしていたオシムのコメントである。
オシムはこのように言っていた。
すなわち、この試合は異なるサッカー哲学の戦いであった、と。つまり、組織で戦うか、個人で戦うかという哲学の違いである。あるいは、数の数え方に問題があったのではないか。11人で戦うのが良いか、1人で戦うのが良いか。当然、11人で戦う方が1人で戦うよりも強い。
メッシは1人で11人のドイツと戦っていた。アルゼンチンの選手は、どこかメッシ1人が何かをしてくれると思っているようなフシが見られた。バルセロナにおいては、他の選手がメッシのプレーしやすいように動いている。一方、代表においてメッシは、1人で何かを成し遂げろというプレッシャーを背負わされている。
一方、ドイツは全員で戦っている。ディフェンダーも攻撃参加するので、攻撃において数的優位になれる。クローゼは、今日は2点ゴールを決めたが、あれは組織のためにそれまで動いていたご褒美であり、ドイツにおけるゴールはクローゼが取っても他の選手が取っても同じこと、つまり誰が取ってもおかしくない、たまたまその人が取ったということに過ぎない。
また、ドイツは南アに入ってから、とてもチームの雰囲気が良い、良くなっていると聞いている。それは、選手たちが過ごしやすいということ。つまり、選手たちが翌日の新聞になんと書かれるかということを心配していないということ。マスコミが、そういう不安を選手たちに与えないという協力をしている。国が全体として代表を支えている。マスコミも支えているのであろう。そうすると、選手たちは非常にプレーしやすい。選手たちは国民すべてから支えられていると感じることができるであろう。
また、ドイツの組織プレーは、日本も非常に参考になる。今日の試合は、何かを得ようと思わなければ何も得られないが、得ようと思えば重要な教訓がある。日本ではメッシが非常な人気だそうだが、それはメッシのようにプレーすれば良いという誤解につながりやすい。本田をメッシに譬えたりされるが、マスコミがそのような間違った認識を流すことで、本田が自分のプレースタイルを、自分のすべきことを間違って理解してしまうことを恐れる、と。
つまり、組織のサッカーが個人プレーのサッカーに勝つというのが、現在のサッカーなのである、ということなのだ。つまり、チームが組織化されていない限り、どれだけ有能な選手が複数いたところで、負けてしまう、ということなのだ。これで、イングランドがなぜドイツに負けたのか、自分としてはスッキリと納得できたように思った。
ちなみに、オシムは、「今後ドイツと対戦する国は、どのように戦えばいいか」という質問に対して、こう答えていた。
今日の試合では露呈しなかったが、ドイツのディフェンダー、センターバックの2人は足元が弱い。そこを突ける。また、ドイツのセンターバックは前線にフィードするタイプではない。また、ラームは積極的に上がって攻撃参加するので、その裏を突ける。ラームの上がったスペースに、脅威を与えられる選手を置くこと。ラームも疲れるので、頻繁に上下する中で、戻れないという時もある。そこを突ける。相手の弱みを見つけて攻めるのは、サッカーに限らず常識だ、とのことであった。
そして、その次、準決勝でドイツが当たった相手がスペインだったのである。
自分としては、先のオシムのコメントがあったので、今度はドイツをある程度は応援するような気持ちでいたのだが、なんとすっかりアルゼンチン戦の躍動が息を潜めて、スペインの良さが目立つ試合になった。あの、イングランドやアルゼンチンを大差で負かしたドイツに対し、スペインのこの落ち着いたパス回しはなんだ?!と、今度はそっちに驚くことになった。スペインは、中盤の底のシャビ・アロンソがサイドを変える大きなパスを出すこともあるのだが、前線のシャビやイニエスタたちは、もっぱらドイツの選手が大勢守っている中央の狭い所でパスをつなぐ。サイドからクロスを上げるなんてことは、それほどなく、ひたすら中央を細かいパス回しで崩そうとするスタイルが、それまで見ていた今回のW杯の試合とはまったく違い、新鮮に映って、非常に楽しく見られた。
ちなみに、試合後のオシムのコメントも、またおもしろかった。
曰く、ドイツは組織プレーの遂行を目指して戦ってきたチームであるが、皮肉なことに、累積警告で出場停止であったミュラーの代わりを誰もせず、結果、ミュラーという個人を欠いたことにより破れたのだ、と。
3位決定戦の対ウルグアイ戦は、不覚にも前半のうちに寝てしまい、見られなかったが、3-2の打ち合いを制してドイツが勝ったという結果にまた驚いた。なぜなら、この試合は、ミュラーは警告あけで出場したものの、クローゼは故障、ラームやポドルスキーは風邪で出場できず、控えの選手が先発だったからだ。控え選手であろうと、組織の戦い方を十分に共有し、同等の結果を残せるということがスゴいと思った。
ドイツは、スカパー!解説陣の聞きかじりだが、どうも2000年くらいに大きな大会で大敗していて、それをきっかけとして選手の育成システムを大きく見直し、その結果が今大会で活躍したミュラーやエジルなどの20歳そこそこの選手たちであるようだ。こうした各国における選手の育成についても、おもしろいトピックだと思うので、これからできれば注目したいけれど、そんな一般の本なんかないだろうな。
また、話は飛ぶが、決勝において、スペインがオランダを下したことは、いろいろと見方や好みがあるだろうと思うが、自分としてはスペインが勝って良かったと思っている。なぜなら自分は、オランダが見せたような悪質な数々のファウルは、せっかくの試合をつまらなくするので、まったく賛成できないからだ。日経の記事では、ファン・ボメルのファウルをしたたかだなどとして否定せず、ファウルもプレーのうち、との考えが透けて見えるが、どうしても自分にはそのように思えない。
スペインもまた、ドイツと同様に、チームの結束力が堅牢であった、ということだと思う。リーガ・エスパニョーラでは敵対しあうマドリーとバルセロナの選手が、このワールドカップでガッチリと共に戦う姿を見られるのはうれしいことだ。優勝が決まった瞬間、カシージャスとプジョルが抱き合う姿に感慨深いものがあった。
ということで、陰の主役はオシム。この人のコメントに出会ったことが一番の発見だったかもしれない。
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ズバリ優勝予想!
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2010-06-15-2
開幕前に,ああでもない、こうでもないと予想してみた。難しいけれど,この予想で決定。 優勝 スペイン 準優勝 オランダ 3位 アルゼンチン 4位 イングランド ベスト8 (上記4カ国に加え)メキシコ ブラジル ドイツ イタリア 決勝トーナメント進出 グループA 1位メキシコ 2位ウルグアイ グループB 1位アルゼンチン 2位ナイジェリア グループC 1位イングランド 2位アメリカ グループD 1位ドイツ 2位セルビア グループE 1位オランダ 2位デンマーク グループF 1位イタリア 2位パラグアイ グループG 1位ブラジル 2位ポルトガル グループH 1位スペイン 2位チリ ポイント 1)フランスはグループリーグ敗退 2)ドログバ、エッシェンの怪我で、コートジボワールとガーナはグループリーグ敗退 3)ポルトガルは、決勝トーナメント1回戦でスペインと当たり、敗退 4)結果的に中米勢がアフリカ勢よりも優位 5)南アフリカは,開催国初グループリーグ敗退
W杯2010南アフリカ
イルカくん
2010-06-16T00:13:09+09:00
優勝 スペイン
準優勝 オランダ
3位 アルゼンチン
4位 イングランド
ベスト8 (上記4カ国に加え)メキシコ ブラジル ドイツ イタリア
決勝トーナメント進出
グループA 1位メキシコ 2位ウルグアイ
グループB 1位アルゼンチン 2位ナイジェリア
グループC 1位イングランド 2位アメリカ
グループD 1位ドイツ 2位セルビア
グループE 1位オランダ 2位デンマーク
グループF 1位イタリア 2位パラグアイ
グループG 1位ブラジル 2位ポルトガル
グループH 1位スペイン 2位チリ
ポイント
1)フランスはグループリーグ敗退
2)ドログバ、エッシェンの怪我で、コートジボワールとガーナはグループリーグ敗退
3)ポルトガルは、決勝トーナメント1回戦でスペインと当たり、敗退
4)結果的に中米勢がアフリカ勢よりも優位
5)南アフリカは,開催国初グループリーグ敗退
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2010ワールドカップ南アフリカ開幕!
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2010-06-15
いよいよ、ワールドカップが始まった! パチパチパチパチ! 新聞に、もしかして6/11の開幕式にネルソン・マンデラが出席するかも、と書かれてあったので、もしやと思い、期待を込めてテレビをつけた。南アフリカでワールドカップが開かれて、その開幕式にマンデラが出席するなんて、自分の学生時代には考えられないことだった。感慨深いものがある。結果、マンデラは出なかったけれど、それでもそうした感慨に変わりはないし、開幕を迎えて、ようやく南アフリカで開催されることの意味を感じた。 マンデラの代わりと言ってはなんだが、開幕式のショーには、何やら巨大な虫が登場した。「ん?ゴキか?いや、これはかつてどこかで見た……あぁ〜〜!ふんころがし、スカラベだぁ!」と思って見ていたら、なんと、巨大スカラベが巨大サッカーボールを糞に見立てて転がすというニクい演出。多くの古代エジプトファンは歓喜したと思う(わたくし含む)。ふんころがし(スカラベ)がなぜ古代エジプトで聖性を帯びたかというと、転がす糞が球形で、それが太陽を思わせるから。光をもたらす太陽は、古代世界では、言わずもがな、崇敬の対象だった。 一部を見ただけだが、ショーは、南アフリカ一国の表現というよりは、アフリカ全土の文化・文明を表現するという趣旨のように見受けられた。巨大スカラベを使って、サッカーボールという希望の太陽を出現させるということに、これから発展へと向かうアフリカの未来への希望を感じさせられた。
W杯2010南アフリカ
イルカくん
2010-06-15T00:46:42+09:00
パチパチパチパチ!
新聞に、もしかして6/11の開幕式にネルソン・マンデラが出席するかも、と書かれてあったので、もしやと思い、期待を込めてテレビをつけた。南アフリカでワールドカップが開かれて、その開幕式にマンデラが出席するなんて、自分の学生時代には考えられないことだった。感慨深いものがある。結果、マンデラは出なかったけれど、それでもそうした感慨に変わりはないし、開幕を迎えて、ようやく南アフリカで開催されることの意味を感じた。
マンデラの代わりと言ってはなんだが、開幕式のショーには、何やら巨大な虫が登場した。「ん?ゴキか?いや、これはかつてどこかで見た……あぁ〜〜!ふんころがし、スカラベだぁ!」と思って見ていたら、なんと、巨大スカラベが巨大サッカーボールを糞に見立てて転がすというニクい演出。多くの古代エジプトファンは歓喜したと思う(わたくし含む)。ふんころがし(スカラベ)がなぜ古代エジプトで聖性を帯びたかというと、転がす糞が球形で、それが太陽を思わせるから。光をもたらす太陽は、古代世界では、言わずもがな、崇敬の対象だった。
一部を見ただけだが、ショーは、南アフリカ一国の表現というよりは、アフリカ全土の文化・文明を表現するという趣旨のように見受けられた。巨大スカラベを使って、サッカーボールという希望の太陽を出現させるということに、これから発展へと向かうアフリカの未来への希望を感じさせられた。
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『1Q84』による、この世界への意味の付与
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2010-04-29
『1Q84』BOOK 3 を読み終えた。 結論から言って、自分はこの物語を承認する。肯定する。 この物語は、村上春樹がこの世界を意味づけたものであると思う。 読み終わって、直後に思ったのは、主人公たちはもとの1984年に帰還することができたが、われわれはどうなのだろう、ということだった。結局われわれは、サリン事件の後の世界、あるいは9.11の後の世界、すなわち何でも有りのこの世界に引き続き生きているのであり、彼らのようにもとの世界に戻るすべを知らないし、ここで生き続けるしかない。 しかし、物語において、1Q84年はただ遺棄されたのではなかった。主人公たちは、1Q84年にも彼らなりの意味を付与したのである。1Q84年は単に論理が危険なほど通用しない世界というだけではなく、そこは彼らが必然的にそこを通過したがゆえに、それまで熱望していたものを手に入れることができた、そういう世界でもあった。1Q84年でしか彼らは自分たちの欲してきたものを得られなかったのだという意味、価値が付与されているのである。そこに、1Q84年にいまだ生き続けるわれわれにも、希望が与えられているのではないだろうかと思う。 それでは、主人公たちが欲した、そのものとは何か。それは自分たちの再会である。1984年とは位相を異にしてしまった1Q84年という世界において、それが異空間であることを唯一示す「二つの月」。しかし二人の他にその指標は誰の目にも見えない。他の人間たちにとって、1Q84年は変わらず1984年のままなのであろうか。それが二人には分からない。とにかく、二人にとって、それはすでに変化してしまった1Q84年なのである。彼らはそれぞれに、この世界が1Q84年という〈異〉なる世界であり、危険な世界であって、そこから逃れなければならないと知っている。そうした二人が邂逅しえた、ということが重要な意味を示しているのだと思う。 以下、以前ここに書いたことなどにからめて、思ったことを散発的に書き出してみる。 ① 村上作品初とも言える女性の主人公 村上作品における本書の位置づけとして、もっとも顕著と言える特徴の一つは、女性を主人公の一人にして、彼女の登場場面においては女性の視点で語っている点だと思う。もう一人の男性主人公については、これまでの村上作品に登場してくる男性と雰囲気はそれとなく似ていたりもするが、大きな変化は、その人物(男性)を内面から描くのではな..
村上春樹
イルカくん
2010-04-29T23:46:45+09:00
結論から言って、自分はこの物語を承認する。肯定する。
この物語は、村上春樹がこの世界を意味づけたものであると思う。
読み終わって、直後に思ったのは、主人公たちはもとの1984年に帰還することができたが、われわれはどうなのだろう、ということだった。結局われわれは、サリン事件の後の世界、あるいは9.11の後の世界、すなわち何でも有りのこの世界に引き続き生きているのであり、彼らのようにもとの世界に戻るすべを知らないし、ここで生き続けるしかない。
しかし、物語において、1Q84年はただ遺棄されたのではなかった。主人公たちは、1Q84年にも彼らなりの意味を付与したのである。1Q84年は単に論理が危険なほど通用しない世界というだけではなく、そこは彼らが必然的にそこを通過したがゆえに、それまで熱望していたものを手に入れることができた、そういう世界でもあった。1Q84年でしか彼らは自分たちの欲してきたものを得られなかったのだという意味、価値が付与されているのである。そこに、1Q84年にいまだ生き続けるわれわれにも、希望が与えられているのではないだろうかと思う。
それでは、主人公たちが欲した、そのものとは何か。それは自分たちの再会である。1984年とは位相を異にしてしまった1Q84年という世界において、それが異空間であることを唯一示す「二つの月」。しかし二人の他にその指標は誰の目にも見えない。他の人間たちにとって、1Q84年は変わらず1984年のままなのであろうか。それが二人には分からない。とにかく、二人にとって、それはすでに変化してしまった1Q84年なのである。彼らはそれぞれに、この世界が1Q84年という〈異〉なる世界であり、危険な世界であって、そこから逃れなければならないと知っている。そうした二人が邂逅しえた、ということが重要な意味を示しているのだと思う。
以下、以前ここに書いたことなどにからめて、思ったことを散発的に書き出してみる。
① 村上作品初とも言える女性の主人公
村上作品における本書の位置づけとして、もっとも顕著と言える特徴の一つは、女性を主人公の一人にして、彼女の登場場面においては女性の視点で語っている点だと思う。もう一人の男性主人公については、これまでの村上作品に登場してくる男性と雰囲気はそれとなく似ていたりもするが、大きな変化は、その人物(男性)を内面から描くのではなく、外側から描いていることだと思う。しかも、この二人の主人公の中では青豆(女性)の方が天吾(男性)より状況をよく把握しているし、むしろ天吾は導かれるままというか、いまいち自分の置かれた状況をよく分かっていない。したがって、読者としては、どちらかと言うと女性の側に立って物語をハラハラしながら読むということになる。ちなみに、物語の中では彼ら自身もそのことを知っていて、最終局面において天吾は青豆に、自分が状況を知らなさすぎるのはフェアじゃない、と訴えている。
② 三人称という表現スタイル
以前に書いたが、村上春樹はあるインタビューで、若者を描くにあたりウソをつきたくないから三人称で書くように変わって来たと語っていた。それを念頭に置けば、女性を主人公の一人とした本作品が三人称形式で書かれたことは必然だったのだろう。さらに、そうした三人称のスタイルを強調するような表現として、なんと作者目線が出てくる箇所が三カ所あり、これには「これが村上作品なのか!?」という感慨があった。339頁と455頁では、登場人物たちがニアミスする場面で、作者の目が登場し、「もしこうであれば、こうなった」と状況を明確に説明するのである。また、566頁では、「リトル・ピープル」の顔を説明するにあたり、「あなたや私とだいたい同じ顔をしている」と、作者と読者を引き合いに出しているのである。これは、これまでの村上作品ではありえなかった手法で、正直けっこう驚いた。アクロバティックな説明手法というか、一見、素人っぽい語り口になりそうな所なので、実験的というか、新鮮な印象を受けた。
③ 小説・物語・書物の可能性
この作品の中にはもう一つの作品が登場する。主人公の一人、天吾は小説家の卵である。その彼が関わって発表された小説を中心にして物語が展開していくのであり、物語の入れ子構造となっている。その物語内物語の非常に重要な位置づけから、世界における物語のもつ重要性というものを感じた。小説という題材を使いながら、非常にリアルな世界を描いたと思う。それは、すなわち、小説・物語・書物のもつ可能性を示した、というふうにも取りたい。
④ 村上は老年を描けるかという問題
本作品には、老若男女が登場する。主人公は三十歳の男女ではあるが、だからと言って彼らだけを描くのではない。そこには、天吾の死にゆく父がおり、青豆に関係する七十代の「老婦人」がいる。物語の中では、彼らの人生をも丁寧に、いくつかの視点から、重層的に描かれる。したがって、以前このブログでは、村上春樹はなぜ若者ばかりを書いて中年や老年を描かないのかという疑問を記したが、村上は決して中年や老年を書けないわけではなかったのだ。その点は、ここできちんと訂正しておきたい。
⑤ 作品で宗教を描くということ
この物語における宗教の位置については、なかなか難しいなあという所である。
BOOK 3 まで読んでみて、ひとまず思うのは、やっぱり、一方では、結局この作品において宗教は、ファンタジーの源泉という位置づけ以上の意味はないのではないかとことである。つまり、物語におけるファンタジーの出どころとしては、特に宗教でなくても良かったのかもしれないし、この作品において宗教はあくまで背景にしか過ぎないのではないかとも思う。
しかしまた一方で、物語の中でいくつかの死を扱う上で、やはり作者が宗教を欠かせないと考えたのではないか、少なくとも宗教を扱うのが自然だ、ふさわしいと考えたのではないかとも思う。しかし、ここでいう意味における宗教は、カルト教団の中に登場するのではなく、むしろカルト教団の外部において、青豆やタマルの中に、カルト的に何かを信奉するのでははい、懐疑をも含んだ現代的な敬虔さという形をとって登場するように思った。
とはいえ、カルト教団から出てくるファンタジーについては、「リトル・ピープル」を筆頭に、いまだ謎が多いし、カルト教団的なる〈宗教〉についても、ファンタジーの豊かな源泉として、この物語においてはもちろん非常に重要な存在であるとは言える。
以上のように、数々の不思議な問いを含み込みながらも、最後は物語を予測のつかない形で見事に収束させ、世界に肯定を与えた本作品によって、おそらく村上春樹は小説家として数段高いステージに上がったと思う。いくつもの問題が雑多に混淆し展開するこの長編小説は、村上春樹いうところの総合小説の、少なくとも一端を示してくれた。『1Q84』は、同時代に読むにふさわしい物語であった。
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加藤周一『羊の歌』『続・羊の歌』
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2010-04-20
一年以上前から下書き状態にしていた記事を、久しぶりに開いてみた。 いま読んでみると、自分なりにけっこう面白かったので、過去の話題ではあるが、ここに掲載しておきたいと思う。 ------------------------------------- 2008年が岩波新書の創刊70周年ということで、『図書』2008年11月号の臨時増刊号で何人かの文筆家が、『羊の歌』をお薦めしていた。それで、初めて、加藤周一を読んだ。 実に愚かしいことだが、これまで加藤周一については、「読まなくても、おおよそ分かる」などと思いなしていた。「どうせ、岩波文化人の言ってることだ、だいたい想像がつく」と。しかし、である。加藤周一を知ってみると、この人は、ここでわざわざ言うまでもないことなのであるが、あえて僭越ながら言わせてもらうと、たいへんスゴい人物である。本当にビックリするほど貴重な人だと思う。何が貴重かと言うと、もちろん、日本の言論界において洋の東西の学術・文化に通暁した稀有な人物であるというのはさることながら、極私的な意味合いにおいて言うなら、これほど自分がその書いたものに共感できるという著作家はいないのではないか、という感じなのである。 『羊の歌ーーわが回想』(岩波新書、1968年8月)は、加藤周一の自伝である。ひつじ年生まれということでタイトルは付けられている。『羊の歌』が幼少期から戦争終結まで、『続・羊の歌ーーわが回想』(同、1968年9月)が戦争直後から1960年くらいまでである。自伝と言ったが、思い出の記ではない。言ってみれば思考の記録、のようなものである。たとえば、一高時代の話が出てくるが、よく有りがちな、優等生が仲間と過ごした青春時代を感傷的に振り返るようなものでは全くない。もう全然違う。一高生のいくつかの馬鹿げた風習をはっきりと批判していて、おそらく一高の中で孤立した異色の存在であったのではないかと思われる。 また、『羊の歌』を読んで特にグサリと来るのは、戦時中、言論統制がしかれる中で、加藤が戦争に浮かれる東京の人々の間にあって、学生仲間とともに戦争への批判を行なっていたことと、冷静に戦局を読んでいたということである。この時代に、このような思考をすることができた人物が日本にいた、ということが驚きである。ここの所は、第2次世界大戦という過去の話ではあるが、妙にリアリティーをもって読まされる。 思ったのは、社会が閉塞し、..
本
イルカくん
2010-04-20T23:54:11+09:00
いま読んでみると、自分なりにけっこう面白かったので、過去の話題ではあるが、ここに掲載しておきたいと思う。
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2008年が岩波新書の創刊70周年ということで、『図書』2008年11月号の臨時増刊号で何人かの文筆家が、『羊の歌』をお薦めしていた。それで、初めて、加藤周一を読んだ。
実に愚かしいことだが、これまで加藤周一については、「読まなくても、おおよそ分かる」などと思いなしていた。「どうせ、岩波文化人の言ってることだ、だいたい想像がつく」と。しかし、である。加藤周一を知ってみると、この人は、ここでわざわざ言うまでもないことなのであるが、あえて僭越ながら言わせてもらうと、たいへんスゴい人物である。本当にビックリするほど貴重な人だと思う。何が貴重かと言うと、もちろん、日本の言論界において洋の東西の学術・文化に通暁した稀有な人物であるというのはさることながら、極私的な意味合いにおいて言うなら、これほど自分がその書いたものに共感できるという著作家はいないのではないか、という感じなのである。
『羊の歌ーーわが回想』(岩波新書、1968年8月)は、加藤周一の自伝である。ひつじ年生まれということでタイトルは付けられている。『羊の歌』が幼少期から戦争終結まで、『続・羊の歌ーーわが回想』(同、1968年9月)が戦争直後から1960年くらいまでである。自伝と言ったが、思い出の記ではない。言ってみれば思考の記録、のようなものである。たとえば、一高時代の話が出てくるが、よく有りがちな、優等生が仲間と過ごした青春時代を感傷的に振り返るようなものでは全くない。もう全然違う。一高生のいくつかの馬鹿げた風習をはっきりと批判していて、おそらく一高の中で孤立した異色の存在であったのではないかと思われる。
また、『羊の歌』を読んで特にグサリと来るのは、戦時中、言論統制がしかれる中で、加藤が戦争に浮かれる東京の人々の間にあって、学生仲間とともに戦争への批判を行なっていたことと、冷静に戦局を読んでいたということである。この時代に、このような思考をすることができた人物が日本にいた、ということが驚きである。ここの所は、第2次世界大戦という過去の話ではあるが、妙にリアリティーをもって読まされる。
思ったのは、社会が閉塞し、言論統制がされるのは、なにも昔の戦争中だけのことではないということだ。社会なんて大きなことを言わなくても、身近なコミュニティーでもありうる。言いたいことが言いにくい雰囲気があったり、自分の本当の意見を隠しておいた方がいいという選択をすることもある。選択とは、ここで自分の意見を言う方が得か、言わない方が得か、という計算であり、表現と立場の維持とを天秤にかけて、後者を取る、ということである。そういう中にあっても、いかに自分を偽らないで、本当のことを言っていくか、ということ。いつも言葉をごまかしていると、いつの間にか自分の考えや意見が無くなってしまうんじゃないだろうかという怖さがある。いつの間にか、自分が自分でなくなって、つまらない人間になってしまいそうな怖さである。
『続・羊の歌』では、終戦直後の東京の様子と、加藤が医学研究生としてフランスで過ごした日々の思考である。ヨーロッパ各地を経巡り、彼自らの眼で、その背後にある思想にまで思考が及んでいく様子が記される。「中世」がまだ生きていることを発見する。滞在費を工面するためにやっていたフランス語通訳の仕事を通して、日本からやってきた作家や社会運動家と、フランスの作家・運動家との議論の食い違い、根本的な発想の違い、またイギリスでの滞在では、道義と政治とどう関係させるかということを覚える。この辺も非常に面白い。
そういうことで、夜寝る前に布団の中で読むには、たいへん心地の良い本。このあとは、加藤周一のどの本を読もうかと考え中です。
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最後の部分は、まだ「考え中」。やはり王道としては『日本文学史序説』(ちくま学芸文庫、上下)かなと思ったが、現在、『加藤周一自選集』(岩波書店、全10巻)の刊行も始まり、どうしたものかという感じで、しばらくはペンディング、またそのうち気が向いたらと思います。
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『1Q84』BOOK 3 を読み始めた
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2010-04-19
『1Q84』BOOK 3 発売日の4月16日。金曜日。 朝7時のNHKニュースは、この3巻目の刊行をトップ・ニュースで扱った。 そんなこと、前代未聞ではなかろうか。 テレビからは、開店時間を早めて販売する東京・神保町の三省堂の様子や、人々が出勤前に列を作って購入する風景が生中継で映し出された。書籍取次最大手のトーハンを取材したVTRでは、『1Q84』BOOK 3 が、公式発売前の流通過程で内容がさらされないよう、通常ありえない箱詰めで出荷されていく場面が流された。 そこまでやるか、新潮社。まさか、派手ぎらいの村上春樹自身が、こうした販売手法を自ら希望するはずはない、と思うのだが。 そして当日夜、うちにも、ネット書店で予約していた本書が届いた。 目次を見て、本文を1行読んで、ことの次第が飲み込めた。これはただものではない。ダン・ブラウンばり、ページターナーの予感が……。これってほとんどミステリーじゃないか。派手な販売手法も、まったく理由がないというわけではないのかもしれない、と思ってみた。 半分ほど読み進んだ現在、今のところ、大きな破綻はない。さて、この先どうなっていくのだろうか。早く決着をつけたいような、つけたくないような、微妙な心境の今日この瞬間。結末で破綻という事態だけは避けてくれ、と願う気持ちです。
村上春樹
イルカくん
2010-04-19T23:17:53+09:00
朝7時のNHKニュースは、この3巻目の刊行をトップ・ニュースで扱った。
そんなこと、前代未聞ではなかろうか。
テレビからは、開店時間を早めて販売する東京・神保町の三省堂の様子や、人々が出勤前に列を作って購入する風景が生中継で映し出された。書籍取次最大手のトーハンを取材したVTRでは、『1Q84』BOOK 3 が、公式発売前の流通過程で内容がさらされないよう、通常ありえない箱詰めで出荷されていく場面が流された。
そこまでやるか、新潮社。まさか、派手ぎらいの村上春樹自身が、こうした販売手法を自ら希望するはずはない、と思うのだが。
そして当日夜、うちにも、ネット書店で予約していた本書が届いた。
目次を見て、本文を1行読んで、ことの次第が飲み込めた。これはただものではない。ダン・ブラウンばり、ページターナーの予感が……。これってほとんどミステリーじゃないか。派手な販売手法も、まったく理由がないというわけではないのかもしれない、と思ってみた。
半分ほど読み進んだ現在、今のところ、大きな破綻はない。さて、この先どうなっていくのだろうか。早く決着をつけたいような、つけたくないような、微妙な心境の今日この瞬間。結末で破綻という事態だけは避けてくれ、と願う気持ちです。
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外山滋比古先生に励まされる
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2010-04-16
といっても、直接お会いしたわけではない。新著の『「マイナス」のプラスーー反常識の人生論』(講談社、2010年1月)を読んだからである。 外山滋比古先生は、昨年からその著書『思考の整理学』(ちくま文庫)がブームになっている著名な英文学者である。1923年生まれというから、今年87歳を迎えられることになるお人だ。ここまで生きて来られて、しかも現在もごくふつうに平易な自らの言葉でかつ知的な執筆活動を行なっているということで、妙に書かれたことには納得させられてしまう。 「まえがき」によれば、外山先生は、9歳でお母さんを亡くされたということである。よく、自分を不幸だと嘆く若者がいるが、自分も思えば9歳で親を亡くすということは不幸なことであった。しかし子供であるから、不幸ということも知らなかった。たんたんとその苦労を忍んで来られたのであろう。何十年かして、これは母が死をもって与えてくれた、ありがたい経験だったのだと思うようになったという。大きな悲しみ、苦しみを乗り越えてきたのだと思うと、それが大きな自信になり、その後も不遇があってもへこたれずにやって来られたのだという。 そして、本文では、いかにマイナスでスタートした人間がその後プラスに転換していくか、それとは逆に、初めにプラスでスタートした人間がいかにその後パッとしないかということが、数々のエピソードによって語られていく。つまり人間は、逆境の中で耐え抜くという経験を通して成長するものだ、ということなのである。外山先生は、筑波大学の前身である東京教育大学で主に教鞭をふるわれたが、東京教育大学は学校の教師を育成する大学であるので、自ずと外山先生の学生もほとんどは教師になったのだろう。卒業生から、よく教育現場の話をお聞きになったのではないか。そのご経験からか、子供の教育に関するエピソードが目立つように思う。 ひるがえって、自分と子供との付き合い方を考えてみるに、自分はなるべく子供には悲しい思い、つらい思いをさせたくないと思って振る舞ってきたように思う。そのために、できるだけ子供の要求を聞いてやりたい、と思ってきた。しかし、そんなことは無理があるのは歴然としている。小さな子供は悪意はないが、自分の勝手な要求のオンパレードなのだから。 たとえば保育園の送迎時に、ベビーカーに乗りたくない、抱っこして欲しいとせがまれるとする。でもこちらは荷物もあるし、ベビーカーも押さなくちゃいけないし..
子ども
イルカくん
2010-04-17T00:36:25+09:00
外山滋比古先生は、昨年からその著書『思考の整理学』(ちくま文庫)がブームになっている著名な英文学者である。1923年生まれというから、今年87歳を迎えられることになるお人だ。ここまで生きて来られて、しかも現在もごくふつうに平易な自らの言葉でかつ知的な執筆活動を行なっているということで、妙に書かれたことには納得させられてしまう。
「まえがき」によれば、外山先生は、9歳でお母さんを亡くされたということである。よく、自分を不幸だと嘆く若者がいるが、自分も思えば9歳で親を亡くすということは不幸なことであった。しかし子供であるから、不幸ということも知らなかった。たんたんとその苦労を忍んで来られたのであろう。何十年かして、これは母が死をもって与えてくれた、ありがたい経験だったのだと思うようになったという。大きな悲しみ、苦しみを乗り越えてきたのだと思うと、それが大きな自信になり、その後も不遇があってもへこたれずにやって来られたのだという。
そして、本文では、いかにマイナスでスタートした人間がその後プラスに転換していくか、それとは逆に、初めにプラスでスタートした人間がいかにその後パッとしないかということが、数々のエピソードによって語られていく。つまり人間は、逆境の中で耐え抜くという経験を通して成長するものだ、ということなのである。外山先生は、筑波大学の前身である東京教育大学で主に教鞭をふるわれたが、東京教育大学は学校の教師を育成する大学であるので、自ずと外山先生の学生もほとんどは教師になったのだろう。卒業生から、よく教育現場の話をお聞きになったのではないか。そのご経験からか、子供の教育に関するエピソードが目立つように思う。
ひるがえって、自分と子供との付き合い方を考えてみるに、自分はなるべく子供には悲しい思い、つらい思いをさせたくないと思って振る舞ってきたように思う。そのために、できるだけ子供の要求を聞いてやりたい、と思ってきた。しかし、そんなことは無理があるのは歴然としている。小さな子供は悪意はないが、自分の勝手な要求のオンパレードなのだから。
たとえば保育園の送迎時に、ベビーカーに乗りたくない、抱っこして欲しいとせがまれるとする。でもこちらは荷物もあるし、ベビーカーも押さなくちゃいけないし、腰は痛いしで、抱っこはできないことを言葉と態度で教えさとした上で、決して嫌いだからじゃなくて、大好きなんだけど、できないんだと話す。しかし、そんな話が通じる世界に子供は生きていない。時に納得してくれても、時に納得せず、路上で大泣きして、叫びまくることとなる。子育て経験者なら、どなたでも、ご経験がおありと思う。他の方はどうだか知らないが、実のところ自分は、こうした状況に、むしょうに腹が立ってしまう。子供が悪いんじゃない、そんなことは分かっている。誰が悪いんでもない。ただ、状況にいら立つのである。先日は、子供の強烈な要求をのんでおんぶしたものの、気持ちを鎮めるために、思わず無人のベビーカーを何度か蹴り飛ばした。
なぜ、自分はこうなるのかを考えてみると、とことんまで子供の要求を聞いてやりたい、聞いてやらなきゃいけないと思ってしまうからなのではないかと思う。だから、限界まで我慢してみるのだけれど、すぐに破綻してしまうということなのではないか。なぜ、子供の要求を限界まで聞いてやりたいと思うのか、それは子供がかわいそうだと思うからだと思う。こんなに泣かせていいのか、と思ってしまっていたのである。
しかし、である。外山先生のいう、逆境でこそ人は成長する、と考えれば、多少子供に我慢をさせて、泣かせておいてもいいのだと思った。すべてが満たされていてはいけないのである。
そして、自分の幼少時代を思い返してみた。自分の実家は、今のうちと同じで、両親が共稼ぎで、やはりうちの子供と同じ0歳児から保育園に通い、小学校低学年は学童に、高学年以降はかぎっ子だった。だから、平日、親がいないという心細さと、それに伴う緊張感というのは鮮明に覚えている。外山先生的に考えるなら、自分にとっては、この心細さ(緊張)というものとかなり古くから付き合っていると思った。心細い状況には敏感で、人よりも一層心細く感じるようにできていると思う。でも、心細いのに耐えるということには慣れているのかなと思った。ポジティヴに考えれば、こうした耐性のお蔭で、今の仕事においても、数々の心細さを経験しながらも、なんとか続けていられるのだと思う。
振り返ってみると、意識はしていなかったけれど、自分が味わった、一人でいる心細さや寂しさを子供には味合わせたくなくて、子供と一緒の時はできるだけ子供に悲しくないようにしてやろうと思ってしまっていたのかもしれない。そしてそれができようはずもないので、板挟みで押しつぶされてしまっていたのだと思う。
外山先生の本を読んで、親が子に対して万全なものを与えることは却ってよろしくないという、開けた気持ちになった。
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ダン・ブラウンで睡眠不足
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2010-04-08
ダン・ブラウン『天使と悪魔』(角川文庫、原書2000年)を読んだ。 この本は危険だ。 なにが危険かと言うと、読者の息をもつかせぬめくるめく展開、山場の連続で、途中でやめられないのである。夜、布団の中で読んでいたが、区切りがつかず、どんどん読んでしまうので、読み終わるまで連日睡眠不足がちであった。 『ダヴィンチ・コード』(角川文庫、原書2003年)を読んだ時は、ああルーブル美術館に一度は行ってみたいと思ったが、本書では、ローマおよびヴァチカンを巡ってみたいと思わせる。 本当に、欧米のベストセラーとは恐ろしい。ここまで激しいストーリー展開って何?!という感じ。あれは、本当にダン・ブラウン氏一人で書いているのであろうか。一人であそこまで荒唐無稽な壮大な構想を描き、結末まで収束させることができるのだろうか。疑いのまなざしを持ってしまうほどの内容である。 しかし、この本を読み始めてしまったがために、数日分の読書時間が水泡に帰した気がする。『ロスト・シンボル』(角川書店、原書2009年)は、くれぐれも手に取らぬように、用心せねばと思うこの頃です。
本
イルカくん
2010-04-10T00:07:24+09:00
この本は危険だ。
なにが危険かと言うと、読者の息をもつかせぬめくるめく展開、山場の連続で、途中でやめられないのである。夜、布団の中で読んでいたが、区切りがつかず、どんどん読んでしまうので、読み終わるまで連日睡眠不足がちであった。
『ダヴィンチ・コード』(角川文庫、原書2003年)を読んだ時は、ああルーブル美術館に一度は行ってみたいと思ったが、本書では、ローマおよびヴァチカンを巡ってみたいと思わせる。
本当に、欧米のベストセラーとは恐ろしい。ここまで激しいストーリー展開って何?!という感じ。あれは、本当にダン・ブラウン氏一人で書いているのであろうか。一人であそこまで荒唐無稽な壮大な構想を描き、結末まで収束させることができるのだろうか。疑いのまなざしを持ってしまうほどの内容である。
しかし、この本を読み始めてしまったがために、数日分の読書時間が水泡に帰した気がする。『ロスト・シンボル』(角川書店、原書2009年)は、くれぐれも手に取らぬように、用心せねばと思うこの頃です。
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苅部直『丸山眞男』
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2010-03-09
苅部直『丸山眞男――リベラリストの肖像』(岩波新書、2006年、サントリー学芸賞受賞)を読んだ。 丸山真男については、学生時代に岩波新書の『日本の思想』を読んだ記憶があるだけで、それも恥ずかしながら内容はあまり覚えていない。だから、本書を通して初めて丸山真男とは何者かというクリアな印象を与えられたように思う。本書を読んで、興味を持った点、共感した点、少なからず感銘を受けたと思われる事柄について、簡単に書き出しておきたい。 ① 丸山真男の人となり、すなわち生い立ちと学生時代について 最初に、まず意外だったのが、丸山真男の父、幹治が新聞記者であったことである。父は新聞社を転々としているのだが、最初期に勤めたことがあるのが、陸羯南(くが・かつなん)が社長兼主筆をつとめた新聞「日本」であるという。昨年12月にNHKで放送された司馬遼太郎の「坂の上の雲」のドラマで、正岡子規が、この新聞「日本」の記者として登場してきたので、自分の中ではタイムリーだった。 学生時代についてだが、青年丸山はマルクス主義者でも、左翼でもなかった。ただ、父の知り合いであった長谷川如是閑を尊敬していたというだけである。誤解から特高に捕まったという苦い経験があるが、しかし、マルクス主義にシンパシーはなかった。東京帝国大学の学生であった当時の丸山は、自由主義知識人の方が、政府や国粋主義者からの抑圧にあってバタバタと寝返っていく左翼知識人よりも厳しく節を守って抵抗している、と見ていた。戦後の回想では、口で言っている思想だけでは分からないものだと語っている。その一方で、父の交遊の関係で、天皇への親近感と崇敬もあった。戦後直後、この気持ちを断ち切るのに、意外なほど苦労している。 ② 現実の政治に対する態度決定について 市民の政治へのコミットについて。丸山は戦後直後結核を起こし、結核療養所に入所していた時期に、診療費値上げに反対する患者たちの反対運動に身近に接する機会があった。また1960年の日米安保条約改訂反対運動に、一人の論客として参加した。これは、有名な演説「選択のとき」としてよく知られているとのことだ。こうした体験から、いろいろと思い悩みつつ、市民の政治活動については非常に現実的で冷静な見方をしていた。 特に注意を惹かれたのは、市民は元来保守的なものであって、政治へのコミットは必要に迫られてのイヤイヤながらのものである、という丸山のコメントである。ここ..
本
イルカくん
2010-04-09T00:14:11+09:00
丸山真男については、学生時代に岩波新書の『日本の思想』を読んだ記憶があるだけで、それも恥ずかしながら内容はあまり覚えていない。だから、本書を通して初めて丸山真男とは何者かというクリアな印象を与えられたように思う。本書を読んで、興味を持った点、共感した点、少なからず感銘を受けたと思われる事柄について、簡単に書き出しておきたい。
① 丸山真男の人となり、すなわち生い立ちと学生時代について
最初に、まず意外だったのが、丸山真男の父、幹治が新聞記者であったことである。父は新聞社を転々としているのだが、最初期に勤めたことがあるのが、陸羯南(くが・かつなん)が社長兼主筆をつとめた新聞「日本」であるという。昨年12月にNHKで放送された司馬遼太郎の「坂の上の雲」のドラマで、正岡子規が、この新聞「日本」の記者として登場してきたので、自分の中ではタイムリーだった。
学生時代についてだが、青年丸山はマルクス主義者でも、左翼でもなかった。ただ、父の知り合いであった長谷川如是閑を尊敬していたというだけである。誤解から特高に捕まったという苦い経験があるが、しかし、マルクス主義にシンパシーはなかった。東京帝国大学の学生であった当時の丸山は、自由主義知識人の方が、政府や国粋主義者からの抑圧にあってバタバタと寝返っていく左翼知識人よりも厳しく節を守って抵抗している、と見ていた。戦後の回想では、口で言っている思想だけでは分からないものだと語っている。その一方で、父の交遊の関係で、天皇への親近感と崇敬もあった。戦後直後、この気持ちを断ち切るのに、意外なほど苦労している。
② 現実の政治に対する態度決定について
市民の政治へのコミットについて。丸山は戦後直後結核を起こし、結核療養所に入所していた時期に、診療費値上げに反対する患者たちの反対運動に身近に接する機会があった。また1960年の日米安保条約改訂反対運動に、一人の論客として参加した。これは、有名な演説「選択のとき」としてよく知られているとのことだ。こうした体験から、いろいろと思い悩みつつ、市民の政治活動については非常に現実的で冷静な見方をしていた。
特に注意を惹かれたのは、市民は元来保守的なものであって、政治へのコミットは必要に迫られてのイヤイヤながらのものである、という丸山のコメントである。ここで丸山が気にしたのは、いわゆる市民運動と言いつつも、もっぱらそれに専従する言わば「プロの市民」によって運動が先導されていることの不自然さである。市民は、その時々の行政に対する要求に応じて、職場なり地域なりで、その時々で結束し、議員に要望を伝えるなり署名を集めるなりして目的を達すれば、また散会し、また何かあれば目的に応じて集う、そのようにするのが本来市民的な政治へのコミットであると言う。それで良いんだ、と言う。丸山が恐れていたのは、「市民」が暴徒化し、ポピュリズムに陥ることであったようだ。実際、1960年安保闘争の時に、いっしょに首相官邸に入った清水幾多郎がさらなる座り込みで首相との面会を求めようとするのに対して、丸山は、「清水さん、こういうのは自分の趣味じゃないし、民主主義にも反すると思うんだが」と言ったという。
③ 丸山の学問的関心について
丸山は、政治思想史の研究と政治学の理論的研究を二つながら合わせて論究した人なんだと思う。そして、それらの学問的関心は、丸山自身の現実政治への態度決定と不可分に結び合っていたように感じられる。丸山の追究したテーマは、今この時代にも通じるようで、読んでいて新鮮だった。そうした丸山が追究した学問的テーマの中で、自分が今後少し考えてみたいと思わされた題材を二つを取り上げたい。
一つは、丸山真男が早い段階、助手論文時代から論究していた、国家と個人の間に位置づけられる「人間仲間」という中間集団である。この言葉は、福沢諭吉による「ソサエティー」の訳語であると本書には書かれている。これは、国家によって個人が牛耳られないように、また個人が個々の利己的な方向に暴走しないための倫理性の管理としての関係性として丸山が設定したものであり、結局丸山の生涯を通じた思想の一つの柱になったようである。国家と、個人の間に設ける中間的集合体。しかし、これは、個人を縛ることになる可能性もあるように思われるが、どうなのだろうか。国家がはっきりとした弾圧を加える前に、周囲の人間関係が圧力を加えるということの可能性が高いという気がする。単純な人間の集団でも、結局は異なるものを排斥しようとするし、それほど簡単ではなさそうに思えた。
もう一つは、丸山が悩んだ西洋的個人主義について。上記の事柄とも非常に関係するが、丸山は、人間の理性についてどう考えたらいいかということを悩んでいたようだ。
座談では、「伝統的個人主義をいわゆる原始的な個人主義として見れば、全ての人間に備わっている理性というようなものによってくくられてしまう。ですから、啓蒙の個人主義をつきつめていくと類的人間になるんですよ。そういう普遍的理性によってくくられない個、ギリギリの、世界に同じ人間は二人といないという個性の自由は、むしろ、啓蒙的個人主義に抵抗したロマン主義が依拠した「個」です。この西欧的な個人主義に内在する矛盾の問題はぼく自身も解決がつかない。」と語っているという(本書192頁に引用)。
これについては、もちろん歴史を経て現在を生きているわれわれとしては、近代的理性、近代の個性礼賛を前提に考えざるをえないのではあるけれど、それでももし丸山が西洋近代から遡って、西洋中世の人間観をかいま見いていたら、現代にどのような方向性を見出していたのだろうかと思った。
以上、本書を読んでいる間は非常に高揚していたが、こうしていざ書いてみると、なかなかうまく行かず、書き始めてから、放置期間も入れて一月かかってしまい、結局高揚感をうまく表現することができなかった。ただ、要するにまとめると、一番言いたかったのは、丸山真男が常に、この日本という国でリベラルであるとはどういうことかを考え続けたということが、自分にとってとても大きかったということです。
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勝間和代さん考
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2010-02-26
2月25日(木)放送の「知る楽仕事学のすすめ」(NHK教育)をたまたま見た。久しぶりにこの番組をつけると、勝間和代が藤巻幸夫のインタビューを受けるというスタイルに変わっていた。勝間さんについては、最近の出版物の傾向にいまいちついて行けず、静観気味に眺めていたのだが、この番組を見て、今一度改めて勝間さんという存在について考えたので、記しておきたい。 勝間さんは、マッキンゼーでがむしゃらに働いて来たが、あるとき仕事の目的を見失い、38歳で退社、独立した。その時、自分の「人生ミッション」を考えたという。自分はこれまでコンサルとして、問題解決を行なって来たし、これからも自分がやりたいのは問題解決だ、そして、この社会の一番の問題は、女性が働き続けられないということだ、と設定した。 勝間さん自身、子どもが生まれた時に会社からパートになるよう言われたり、コンサル時代には、自分は少ない方だと前提したが、単に女性だということだけで担当を外されたということがあったという。社会のそういう明白なおかしいことを解決しよう、自分の子どもたち(娘さん3人)が成長した時には少しはましな社会にしたいと思ったという。 そして、ここからがミソなのだが、では、その解決方法として、勝間さんはどのような方法を取るべきだと考えるか。勝間さんは、そうした社会的劣勢の立場に置かれるマイノリティー、社会的弱者の問題は、識者が手を差し伸べて法整備をするということでは解決しない、と語る。そうした弱者の側が立ち上がって、自分で自分の権利を主張し勝ち取っていかなくてはならない。それが、彼女の主張だ。 そうか!と、ここで膝を打った。つまり、最近の勝間さんの本がやたら顔写真が多く、かつ大衆に迎合したような書名だったりするのは、広い裾野の読者を対象にして、大勢を立ち上がらせようとしているからなのだ。紅白の審査員も、そうした目的に合致するのであろう。だから、こうした彼女の手段については、しばらく見守っていくべきだと思った。むしろ、こうした勝間さんの活動に対して、否定的な見方も少なくない状況においては、積極的に擁護していかなくてはいけない。なぜなら、勝間さんの語っているような内容を、他の誰も、このようにテレビで語ってくれる人などいない。誰が、彼女の言っているように、この社会は子持ちの女性に厳しいとか、男性は働き過ぎだとか、明らかにおかしいけれど誰も言わないことを堂々とテレビで言っ..
未分類
イルカくん
2010-03-08T00:40:12+09:00
勝間さんは、マッキンゼーでがむしゃらに働いて来たが、あるとき仕事の目的を見失い、38歳で退社、独立した。その時、自分の「人生ミッション」を考えたという。自分はこれまでコンサルとして、問題解決を行なって来たし、これからも自分がやりたいのは問題解決だ、そして、この社会の一番の問題は、女性が働き続けられないということだ、と設定した。
勝間さん自身、子どもが生まれた時に会社からパートになるよう言われたり、コンサル時代には、自分は少ない方だと前提したが、単に女性だということだけで担当を外されたということがあったという。社会のそういう明白なおかしいことを解決しよう、自分の子どもたち(娘さん3人)が成長した時には少しはましな社会にしたいと思ったという。
そして、ここからがミソなのだが、では、その解決方法として、勝間さんはどのような方法を取るべきだと考えるか。勝間さんは、そうした社会的劣勢の立場に置かれるマイノリティー、社会的弱者の問題は、識者が手を差し伸べて法整備をするということでは解決しない、と語る。そうした弱者の側が立ち上がって、自分で自分の権利を主張し勝ち取っていかなくてはならない。それが、彼女の主張だ。
そうか!と、ここで膝を打った。つまり、最近の勝間さんの本がやたら顔写真が多く、かつ大衆に迎合したような書名だったりするのは、広い裾野の読者を対象にして、大勢を立ち上がらせようとしているからなのだ。紅白の審査員も、そうした目的に合致するのであろう。だから、こうした彼女の手段については、しばらく見守っていくべきだと思った。むしろ、こうした勝間さんの活動に対して、否定的な見方も少なくない状況においては、積極的に擁護していかなくてはいけない。なぜなら、勝間さんの語っているような内容を、他の誰も、このようにテレビで語ってくれる人などいない。誰が、彼女の言っているように、この社会は子持ちの女性に厳しいとか、男性は働き過ぎだとか、明らかにおかしいけれど誰も言わないことを堂々とテレビで言ってくれるだろうか。彼女がいかに節操なく顔写真を本の表紙に使おうが、そんなことは些末なことなのだ。
勝間さんの活動は、テレビや出版に限られない。中央大学大学院でMBAのコースも持っている。番組では、その授業風景も映し出した。受講者は主に企業の法務・人事担当の部署に所属する社会人学生だという。そこでのトークの中にこうあった。1)日本では女性にも割と教育費をかけて、高学歴の教育を受けさせるが、それが社会に還元されず、眠っている。2)日本でも企業に聞くと、女性(働く母親)の活用を行なっているという。しかし、それはワーキング・マザー用に用意された「マミー・トラック」と呼ばれる仕事で、全くの対等な職種ではない。自分としては、そうしたマミー・トラックが良いのか、それとも男性と同じ仕事が良いのか、というのは判断が付いていない。学生の皆さんと講義を通じて意見を交換することで、探っていきたい、と。ここでのポイントは、勝間さんすら、母親の働き方についての最善策をまだ知らない、ということだ。ましてや、視聴者である自分が分からなくて模索して当然と言えて、なぜかホッとした。
番組では、他に、勝間さんが始めた、仕事を持つ母親のための情報サイト「ムギ畑」の話もあった。働く母親は必ず問題に直面する。しかし、どういう困難が持ち上がるかということを前もって知っていれば、パニックにならなくて済む。勝間さんは、0と1とでは随分違うと言う。もちろん困難は1なんかじゃなくて、100なんだけれども、それを全く知らないのと、少し知っているのとでは全然違う。自分としては、自分が経験した事柄について、自分の5歳下、10歳下のワーキング・マザーにも伝えていきたい。なぜなら、彼らも自分と同じ困難に必ずぶつかるはずだから、ということだった。
そういうことで、以上をまとめると、今回はテレビ番組を通じて、改めて、勝間さんの強い目的意識を感じた。つまり、最近の著作を見るにつけ、とうとう売れる方向に鞍替えして、儲けに走って、ナルシシズムに行っていると思っていたけれど、今回のトーク番組を見て、彼女の根幹というのはそうではなく、やはり社会改革だったのだと思った。とはいえ、彼女が言っていることは当然のことだし、彼女の扱っている問題自体は特に新しいことではない。古くからある問題なのだ。だがしかし、繰り返し言うと、彼女の他にこうした事柄について、堂々とテレビで啓蒙している人はいない。そういう意味で、すごく貴重な存在だし、意義があるのであって、これからもその方向で、どんどん頑張って行って欲しいと思う。
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電子書籍と村上春樹
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2010-03-03
職業がら、電子書籍の動向には、かなり関心を持って注目している。現時点においては、まだキンドルもiPadも日本には上陸していない。しかし、時間の問題だ。業界紙では、毎週のように、電子書籍の記事が大きく扱われている。電子書籍の登場で、出版業は大打撃を被る、というのが大筋の所だろうと思う。 しかし、思うのだが、これまで本作りや販売に携わって来た人間たちが、自ら電子書籍の脅威を語るというのには、何か違うものを感じる。自分としては、書物を読む、という行為は今後も変わらないと思ったりする。業界の経営陣やオピニオン・リーダーたちには、書物という形や、読むという人間の行為の意義をもっと語ってもらいたいと思う。簡単に言ってしまえば、もっと本に自信を持つべきではないか、ということだ。 もちろん、個人的に一ユーザーとしては、最新機器への興味もあるし、できれば早く電子書籍リーダーを使ってみたいとは思う。読みたい時にすぐにダウンロードして読めたらいいだろうし、一台の中に沢山の本を入れられれば、気分によって、読む本を選べる。それはスゴい便利だろう。でも、いざ購入する時に考えてしまうだろうと思うのが、バッテリーの問題と、通信料の問題だ。紙の本はかさばるかもしれないけれど、充電など必要なく、とってもシンプルな存在である。また、通信料に安くても月数百円かかるとすれば、それで文庫本くらい買えてしまう。 そんなこんなで、旋風吹き荒れるが、おそらく本のすべてが電子書籍に乗っ取られるわけではないと思う。だって、そうなったら、つまらないと思う。 ところで、この1月、有力書店によって構成される「書店新風会」が40年前から行なっているという「新風賞」という賞の発表があり、今回は『1Q84』を出版した新潮社と著者の村上春樹が受賞した、というニュースを先日『週刊読書人』で読んだ。この賞は「時代の思想・潮流を先覚し、また、活発な出版活動によって読者に大きな感銘を与え、書店売場の活性化に貢献した作品」を刊行した出版社と著者に授与される、という。 1月8日の贈賞式で代読された、村上春樹の受賞挨拶の中に、わが意を得たりと思うフレーズがあったので抜粋したい。書籍をめぐる状況は、昨今大きく変わりつつありますし、この変化の多くは一見して書籍にたずさわる者にとって、あまり喜ばしいものではないように見えます。以前の時代とは違って、私たちは実に多様な新しいメディアと競合していかなく..
村上春樹
イルカくん
2010-03-05T23:55:36+09:00
しかし、思うのだが、これまで本作りや販売に携わって来た人間たちが、自ら電子書籍の脅威を語るというのには、何か違うものを感じる。自分としては、書物を読む、という行為は今後も変わらないと思ったりする。業界の経営陣やオピニオン・リーダーたちには、書物という形や、読むという人間の行為の意義をもっと語ってもらいたいと思う。簡単に言ってしまえば、もっと本に自信を持つべきではないか、ということだ。
もちろん、個人的に一ユーザーとしては、最新機器への興味もあるし、できれば早く電子書籍リーダーを使ってみたいとは思う。読みたい時にすぐにダウンロードして読めたらいいだろうし、一台の中に沢山の本を入れられれば、気分によって、読む本を選べる。それはスゴい便利だろう。でも、いざ購入する時に考えてしまうだろうと思うのが、バッテリーの問題と、通信料の問題だ。紙の本はかさばるかもしれないけれど、充電など必要なく、とってもシンプルな存在である。また、通信料に安くても月数百円かかるとすれば、それで文庫本くらい買えてしまう。
そんなこんなで、旋風吹き荒れるが、おそらく本のすべてが電子書籍に乗っ取られるわけではないと思う。だって、そうなったら、つまらないと思う。
ところで、この1月、有力書店によって構成される「書店新風会」が40年前から行なっているという「新風賞」という賞の発表があり、今回は『1Q84』を出版した新潮社と著者の村上春樹が受賞した、というニュースを先日『週刊読書人』で読んだ。この賞は「時代の思想・潮流を先覚し、また、活発な出版活動によって読者に大きな感銘を与え、書店売場の活性化に貢献した作品」を刊行した出版社と著者に授与される、という。
1月8日の贈賞式で代読された、村上春樹の受賞挨拶の中に、わが意を得たりと思うフレーズがあったので抜粋したい。
書籍をめぐる状況は、昨今大きく変わりつつありますし、この変化の多くは一見して書籍にたずさわる者にとって、あまり喜ばしいものではないように見えます。以前の時代とは違って、私たちは実に多様な新しいメディアと競合していかなくてはなりません。一種の情報の産業革命の真っ只中に私たちは置かれているように見えます。そこには思いもよらぬ価値の組み換えがあり、地盤の変化があります。しかし、何がどのように変化しようと、この世界には書物という形でしか伝えられることの敵わない思いや情報が変わることなくあります。活字になった物語という形でしか表わすことの出来ない魂の大きな震えが変わることなくあります。僕はそのことを信じて、この30年間、小説を書き続けてきました。(『週刊読書人』2010年1月22日号)
ちなみに、『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋、2007年)では、ジョギング中にアメリカではほとんどの人がiPodで音楽を聴いているけれど、自分はMDプレーヤーを使用しているというくだりがある。音楽というものとコンピュータとをつなげたくない、とたしか書いていたと思う。上の引用は、この音楽の感覚とも似た話なのかもしれない。とはいえ、アメリカのアマゾンでは、もちろん、村上作品のキンドル・バージョンがふつうに売られているのではあるが。
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マクラーレンのベビーカー問題
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2010-02-20
おととい、ようやくマクラーレンのベビーカーの事故を防ぐ無償カバーが届いた。実のところ、これには、関係各社の対応に、にがにがしいものが残った。マクラーレン社しかり、正規輸入元の野村貿易しかり、そして並行輸入業者(うちの場合はガリバー)しかりである。結局、三者とも、事故の問題を自社の問題としてとらえてはいない。各社の対応を見ていると、自分は最小限の負担ですませたい、あとは他社が責任を持つべきだ、という考えが透けて見える気がする。 ことの発端は、昨年の11月。マクラーレンのベビーカーを開く時に、ちょうつがい部分に乳幼児の指が挟まり怪我が発生し、そのうち2件が重大事故であったという事態を受け、経済産業省がイギリスのマクラーレン社に対策をこうじるよう通告したことに始まる。しかし、これ以前からアメリカでは、子どもの指の切断という重大事故が多数起こり、実際、大規模リコールという問題は起きていた。 世界各地での苦情、通告を受けて、マクラーレン社は、該当箇所をおおう布製のカバーを無償配布することを決め、日本においては11月末、正規輸入代理店である野村貿易が、マクラーレン社から届いた無償カバーを配布するための受付を始めた。しかし、野村貿易を通じての配布は、正規輸入分のみということで、ベビーカーに記載されている製品番号を申告させ、日本正規輸入品と認められない場合は配布しないということになった。 経済産業省は、野村貿易の対応を受けて、正規外のルートで購入した消費者の安全のため、法律的には輸入品の製品不具合の問題の責任は並行輸入業者にあるとして、正規輸入業者と同様の対応、すなわち無償カバーの配布を並行輸入業者に求めた。ここまでが昨年11月の出来事である。 さて、わが家のマクラーレン・ベビーカーは、ガリバーというライブドア系列(たしか)の会社から、ネット通販で購入した。価格は、デパートで見た時は4万6千円くらい、ガリバーではたしか2万6千円くらいだったと思う。この値段の明らかなる差により、同じくネット通販で格安で手に入れた消費者は多いはずだ。実際、リコールプラスというサイトを見ると、2月5日付のページに今回の対象台数が載っていて、それによれば、野村貿易が約17万台、その他の輸入業者で約9万7千台を販売しており、対象となる機種の約36パーセントを並行輸入業者が販売していることになる。 11月の報道がなされてすぐ、まずはダメもとで野村貿易に申..
子ども
イルカくん
2010-02-21T23:05:13+09:00
ことの発端は、昨年の11月。マクラーレンのベビーカーを開く時に、ちょうつがい部分に乳幼児の指が挟まり怪我が発生し、そのうち2件が重大事故であったという事態を受け、経済産業省がイギリスのマクラーレン社に対策をこうじるよう通告したことに始まる。しかし、これ以前からアメリカでは、子どもの指の切断という重大事故が多数起こり、実際、大規模リコールという問題は起きていた。
世界各地での苦情、通告を受けて、マクラーレン社は、該当箇所をおおう布製のカバーを無償配布することを決め、日本においては11月末、正規輸入代理店である野村貿易が、マクラーレン社から届いた無償カバーを配布するための受付を始めた。しかし、野村貿易を通じての配布は、正規輸入分のみということで、ベビーカーに記載されている製品番号を申告させ、日本正規輸入品と認められない場合は配布しないということになった。
経済産業省は、野村貿易の対応を受けて、正規外のルートで購入した消費者の安全のため、法律的には輸入品の製品不具合の問題の責任は並行輸入業者にあるとして、正規輸入業者と同様の対応、すなわち無償カバーの配布を並行輸入業者に求めた。ここまでが昨年11月の出来事である。
さて、わが家のマクラーレン・ベビーカーは、ガリバーというライブドア系列(たしか)の会社から、ネット通販で購入した。価格は、デパートで見た時は4万6千円くらい、ガリバーではたしか2万6千円くらいだったと思う。この値段の明らかなる差により、同じくネット通販で格安で手に入れた消費者は多いはずだ。実際、リコールプラスというサイトを見ると、2月5日付のページに今回の対象台数が載っていて、それによれば、野村貿易が約17万台、その他の輸入業者で約9万7千台を販売しており、対象となる機種の約36パーセントを並行輸入業者が販売していることになる。
11月の報道がなされてすぐ、まずはダメもとで野村貿易に申し込みをした。しかし、案の定、製品番号から正規品でないことが確認されたので配布はできないとのメール返信があった。無償でなくとも代金を支払っても良いとまで書いたが、そもそもマクラーレン社から送られて来た数が正規分しかないので販売もできないとの回答であった。その時点で、ガリバーのホームページ(楽天)を見ると、一応ことの次第については大きく注記されていたものの、マクラーレンは正規分しかカバーを作っていないので、自分たちの所には回って来ない、しかし安全に十分気をつければ使用し続けられると書かれてあった。そして、そうした注意書きとともに、補修カバーなしのマクラーレン・ベビーカーは売り続けられていた。
なぜ、正規でない並行輸入業者には補修カバーが配布されないのか。これについては後日、日経新聞で知ったが、マクラーレンとしては、正規で卸したもの以外は本当に自社の製品であるのか否かを確認できないとしている、と。また一方で、並行輸入業者に売れ残り品を安く卸している小売店は、その卸したものが売れ残った正規のものだとはマクラーレンに言えない、もし言えば次回から数を減らされるという構図になっているということだった。
では、いったいこの問題は誰がどのように解決するのだろう。わが家に無償カバーがくる日は来るのか。おそらく来ない。事故が心配なら他のに買い替えろ、ということなのだろう。泣き寝入りの公算が強くなり、関係サイトのブックマークもすでに外していたところ、この期に及んで、ガリバーら並行輸入業者が集まって独自に補修カバーを作り、無償配布を行なうこととなった。今回うちに届いたのは、ガリバーからである。(新聞記事が出て、ガリバーのホームページ(楽天)を見たら、申し込み画面が出ていたので申し込んだ。)
補修カバーについては、写真を載せるのは面倒なので、見たい方は検索すればすぐヒットすると思うので見ていただければ分かるが、なんてことはない、ちょこっとしたものである。原価いくらもしないんじゃないか、きっと。どうしてこんな簡単なものを配布するのに4ヶ月もの時間がかかってしまったのだろうと首を傾げざるを得ない。
ガリバーら並行輸入業者は、昨年11月末の時点で、つまり野村貿易の対応が発表された時点で、すぐに独自に作ることに決めて、ひと月足らずで配布を可能にするべきであったんじゃないかと思う。どうせ作ることになるのであれば、早めに作ることにした方が格段に消費者の益になったし、ここまで問題を引きずらなかった。
マクラーレン社については、言うまでもないことだが、自社製品の大事故につながる怖れのある重大欠陥の補修カバーを小売りに作らせるという事態が驚きというか、信じられないというか、いったいどういう会社なのか。一時期「セレブ」と持てはやされた、おごりが感じられる。おそらくそれでもマクラーレンは、お宅の購入したのはうちが作ったものではない、と言うかもしれない。たしかにそれは購入した者にも分からない。でもそれなら、日本に正規に卸した製品番号だけを照合するんじゃなくて、全世界に輸出した製品番号との照合をすれば良かったんじゃないか。そうすれば、バッタもんか否か、ハッキリしただろう。
野村貿易の対応については理解できなくもない部分はあるが、しかし、ことは事故につながる問題なのであるから、マクラーレンに物を申すなり、正規分で余っているものを時期を見て正規外の消費者にも配布するなどの、言わば人道的な対応が取れなかったのか、とは思う。実際、経産省と消費者庁の2月5日付け同時発表においては「野村貿易株式会社においては、「安全対策カバー」の配布を進めており、現在、既販売分約17万台に対して、約16万セットのカバーを入手し、消費者から要望のあった約5万セットについては、既に配布を完了しているとの報告を経済産業省で受けております」とあり、つまりは野村貿易の中で、カバーが約11万セットも余っていたことになるのだ。これは、カバーなんて要らないという人には大した話ではなかろうが、自分のようにカバーを待ち望んでいた人間にとってはやるせない事態である。
ともあれ、これにより、今後ベビーカー市場は国産に流れると見た。わが家も、今のマクラーレンを使いつぶした暁には、自由な気持ちでいろいろなベビーカーを物色してみたいと思う。もちろん、マクラーレンは二度と買わない。
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追記:グレイス・ペイリーについて
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2010-02-16
グレイス・ペイリーは、「二つの耳、三つの幸運」という文章の中で、自分が小説を書き始めた頃のことを振り返り、このように書いている。私は当時、最新の小説を読んでいた。五〇年代の小説、男性向きの小説。伝統的なものであれ、アヴァンギャルドなものであれ、あとになってはビート的なものであれ。私自身かつて少年であったものの一人として(『トム・ソーヤ』を読んだ女の子たちの多くは、自分たちが内なる真の少年性を見いだしたことを知っているという意味で)、自分はシリアスで重要な素材について書いていないんではないかという考えに、かなり早い段階で染まっていた。成人した女性として、私には選択肢はなかった。日々の生活、台所の中の生活、子供たちの生活、そういうものが私に与えられていた。それが私の取り分であり、大きな幸運の始まりだったのだが、そのときの私にはそんなことは知るべくもなかった。(村上春樹訳『人生のちょっとした煩い』文藝春秋、収載) 夜中の2時に目が覚めて、「いったい自分の行く手を阻むものは何か」と思う。その時、この文章が胸に届く。自分もいずれ、ペイリーのように、自らの取り分を生かして、大きな幸運を得られるだろうか。 改めて、この人には良いものを感じる。1922年生まれとあるが、まだご活躍なのだろうか。と思って検索してみたら、2007年に亡くなっていた。知らなかったので、ちょっとショック。
本
イルカくん
2010-02-17T23:37:13+09:00
私は当時、最新の小説を読んでいた。五〇年代の小説、男性向きの小説。伝統的なものであれ、アヴァンギャルドなものであれ、あとになってはビート的なものであれ。私自身かつて少年であったものの一人として(『トム・ソーヤ』を読んだ女の子たちの多くは、自分たちが内なる真の少年性を見いだしたことを知っているという意味で)、自分はシリアスで重要な素材について書いていないんではないかという考えに、かなり早い段階で染まっていた。成人した女性として、私には選択肢はなかった。日々の生活、台所の中の生活、子供たちの生活、そういうものが私に与えられていた。それが私の取り分であり、大きな幸運の始まりだったのだが、そのときの私にはそんなことは知るべくもなかった。(村上春樹訳『人生のちょっとした煩い』文藝春秋、収載)
夜中の2時に目が覚めて、「いったい自分の行く手を阻むものは何か」と思う。その時、この文章が胸に届く。自分もいずれ、ペイリーのように、自らの取り分を生かして、大きな幸運を得られるだろうか。
改めて、この人には良いものを感じる。1922年生まれとあるが、まだご活躍なのだろうか。と思って検索してみたら、2007年に亡くなっていた。知らなかったので、ちょっとショック。
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井形慶子『老朽マンションの奇跡』
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2010-02-07
年末年始の休暇中、新聞広告で気になっていた本(2009年、新潮社)。 帯には、こうある。 「住みたい街No.1」吉祥寺で築35年のメゾネットを500万円で買って「ロンドンフラット」に再生! 東京で「持ち家願望」を持つほどむなしいことはない。 確実に、その持ち家は、地方にある実家と比べて、極端に狭いだろうし、極端に高すぎるであろうから。 それでも、2年ほど前、ちょっとどんなもんかと思って、散歩がてら、近場にできる予定だったマンションと、戸建のモデルルームを見てみたことはある。しかし、それがビックリ。マンションは、「まあ最低これくらいの広さはないとな」と思った部屋が、なんと1億。戸建は、2階建ての1階がキッチンとリビングのみで、2階に寝室ともう一部屋で、マンッションの部屋をムリムリ2階建てにした感じ。それが6千万。はっきり言って、何の予備知識もなかったから、これには目玉が飛び出た。誰がそんな大金出してわざわざこんな狭い家を買うんだろう、と思った。お金持ちが買うんだろうが、負け惜しみで言うと、たぶん自分がそれだけ金持ちでも、こんなものは買わない、と思った。 その後、勝間さんの『お金は銀行に預けるな――金融リテラシーの基本と実践』(2007年、光文社新書)を読んで、ますます持ち家から遠ざかり、むしろ「(東京で)家を買う人は世の中を分かってない」とさえ思っていた。勝間さんの論旨はというと、持ち家=不動産は今後、価値が下がることはあっても上がることはない、ゆえに不動産に投資するよりも、もっと良い投資先はある、ということであったと思う。だから、富裕層であっても家を持たず、都心に賃貸する人が増えているんだと。また、住宅ローン減税など、政府が盛んに家を持たそうとするのは、家を買うと人は家具や家電を買いそろえるので、非常なる経済効果があるから、景気の底上げのためにやっているのである。それに、大手の都市銀行などは、まともな投資行動などもせず、リテール分野でいうと住宅ローンくらいしか儲かる商品はないので、都市銀行ももちろんその政策に乗っかる。という話であったと思う。 なにも勝間さんだけでなく、例えばあの有名なロバート・キヨサキの『金持ち父さん、貧乏父さん』(2000年、筑摩書房)においても、舞台がアメリカという大きな違いはあるけれど、ローンを組んでまで(=借金してまで)家を持つのは「貧乏父さん」なのであった。 たまに、「どうせ賃貸料を..
本
イルカくん
2010-02-08T00:16:14+09:00
帯には、こうある。
「住みたい街No.1」吉祥寺で築35年のメゾネットを500万円で買って「ロンドンフラット」に再生!
東京で「持ち家願望」を持つほどむなしいことはない。
確実に、その持ち家は、地方にある実家と比べて、極端に狭いだろうし、極端に高すぎるであろうから。
それでも、2年ほど前、ちょっとどんなもんかと思って、散歩がてら、近場にできる予定だったマンションと、戸建のモデルルームを見てみたことはある。しかし、それがビックリ。マンションは、「まあ最低これくらいの広さはないとな」と思った部屋が、なんと1億。戸建は、2階建ての1階がキッチンとリビングのみで、2階に寝室ともう一部屋で、マンッションの部屋をムリムリ2階建てにした感じ。それが6千万。はっきり言って、何の予備知識もなかったから、これには目玉が飛び出た。誰がそんな大金出してわざわざこんな狭い家を買うんだろう、と思った。お金持ちが買うんだろうが、負け惜しみで言うと、たぶん自分がそれだけ金持ちでも、こんなものは買わない、と思った。
その後、勝間さんの『お金は銀行に預けるな――金融リテラシーの基本と実践』(2007年、光文社新書)を読んで、ますます持ち家から遠ざかり、むしろ「(東京で)家を買う人は世の中を分かってない」とさえ思っていた。勝間さんの論旨はというと、持ち家=不動産は今後、価値が下がることはあっても上がることはない、ゆえに不動産に投資するよりも、もっと良い投資先はある、ということであったと思う。だから、富裕層であっても家を持たず、都心に賃貸する人が増えているんだと。また、住宅ローン減税など、政府が盛んに家を持たそうとするのは、家を買うと人は家具や家電を買いそろえるので、非常なる経済効果があるから、景気の底上げのためにやっているのである。それに、大手の都市銀行などは、まともな投資行動などもせず、リテール分野でいうと住宅ローンくらいしか儲かる商品はないので、都市銀行ももちろんその政策に乗っかる。という話であったと思う。
なにも勝間さんだけでなく、例えばあの有名なロバート・キヨサキの『金持ち父さん、貧乏父さん』(2000年、筑摩書房)においても、舞台がアメリカという大きな違いはあるけれど、ローンを組んでまで(=借金してまで)家を持つのは「貧乏父さん」なのであった。
たまに、「どうせ賃貸料を毎月払うのなら、それが将来自分の物になった方が得じゃないか」と言う人がいるけれど、固定資産税を含めた場合、果たして現在支払っている毎月の賃料で買える家は、どんな家だろう。今、借りている部屋よりもグレードは下回るのではないかと思う。そんな家であっても、自分の物になった方が得なのだろうか。マンションであれば、大型修繕の時期もあるし、建物自体の寿命もあったり、家族編成の変化によって、数年単位で住み替えをしなくてはいけないと聞く。その時、果たして自分の願った通りに売り抜けて、また新たな住まいを難なく見つけられるのであろうか。戸建の場合だと、やはりメンテナンス費用を自分で積み立てて行かなくてはならないだろう。それを日々(かどうか知らないが)、考えていかなくてはいけないというのも、また大変なオポチュニティー・コストだと思う。そんな時間が、今の自分にあるか(いやない)と自問せざるを得ない。
そもそもが、同じ会社の先輩で家を持っている人を見てみると、知っている人では、必ず自分か配偶者が東京が地元の人で、必ず皆、親からの遺産・援助があって初めて家を持てている。うちの子どもの保育園のお友達でもやはり、家を持てている人のほとんどは、東京のこの地区が地元で、親(祖父母)が近くに住んでいる。家を持つにあたり援助があったのかどうかまでは分からないけれど(ちょっとふつう聞けないですよね)。
よって、挙げたらキリがないほど、自分にとって、東京における持ち家というのは実現不可能な夢なのだ、と思っていた。が、しかし、この本である。やはり気になって、手に取ってしまった。
本書は、冒頭から、東京に出て来た若者が、いかに給料を住居費として搾取され、狭い部屋で暮らさざるを得ない日常を送っているかという、著者の義憤から始まって、全編を通しそれに尽きていると思う。もちろん、メインは帯にあるような中古物件のリフォームの話や、新築マンションを安く買った例など、実用書としての役目を果たしている。そのメインの話を支えている著者の姿勢の根元には、日本の住宅政策の見えてなさ、への憤懣があると思う。それが共感できたし、評価したい。
上に述べた勝間さんの言っていることは、最近の著書のタイトルにあるように「起きていることはすべて正しい」ということがあるのであろう、すでに与えられた所与の条件における(経済)合理的な判断、というレベルの話である。そのように、現状を肯定してみるなら、家を持つのは非合理的である。しかし、家を持つのが非合理的になってしまうという社会が本当に良いのか、というのは別の話なのである。本書は、そこを突いている。家を持ちたいと願う人が持てるようになるためには、を述べようとしているし、そこを目指している。
とはいえ、井形さんの述べていないことで、その辺はどうなっているの?と思うポイントはいくつかある。例えば、中古マンションの管理組合の問題、大型修繕の問題、住み替えの問題、などである。マンションはとにかく管理組合がしっかりしている方が良いと聞くし、また大型修繕を考えるなら費用的には戸数の多い大型が良いとも聞く。今回本に登場するマンションは、戸数が少ないし、管理組合の話はない。具体的には、その辺がもっと知りたい点ではある。でも、それを本当に知りたければ、別の実用書に書いてあるのだろうと思う。
きしくも、10日ほど前から日経新聞の経済教室面で、「住宅市場の新潮流」という連載が始まった。これなども合わせて読むと、非常に勉強になる。要するに、「新潮流」とは中古市場のことを言わんとしているようだ。なぜ日本の住宅家屋は欧米と比べて寿命が短いのか、なぜ日本では家族が住める賃貸物件が少ないのか、という当然の疑問を取り上げている。こうしたことは、おそらく日本ではこれまでタブーだったのではないかという気がする。なぜなら、それによって日本の会社が成り立っていたのだから。こうした住宅政策・住宅市場についての真相がもし明確に指摘されるなら、日本における経済構造を一挙に変えることになるのではないかと思う。
ちなみに、2/8号の『日経ビジネス』は、中古物件の特集であるらしく、その関係もあってか、井形さんのインタビューがサイトに載っている。今週、これも買いかもしれない。
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グレイス・ペイリー『人生のちょっとした煩い』
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2010-01-30
自分が一番幸せを感じる時について、最近、思いついた。 あるいは、幸せと言うより、充実を感じる時、と言った方が、ピッタリかもしれない。 つい2、3日前に気づいたことだけれど、自分がそういう充実感を感じている時というのは、読みたい本がたくさんあるという時かもしれない。つまり、読みたい本がたくさんあって、それらを同時並行的に、時間を見つけて少しずつ読んでいる時期っていうことだ。 言い換えると、もっと時間があれば、一気に読み終えて、もっとさらに関連の本をたくさん読んでいけるのに、と歯がゆいほどに感じる時は、けっこう自分としては充実しているのかもしれない。 しかし、まれに「読みたい本がない」という精神状態に、何の理由もなく、ストンと落ち込んでしまうような時もあって、これは困る。もちろん、いつもほんの2日くらいで収まるので、ご心配には及びませんが、けっこうな脱力状態である。 数週間前も、そこにストンと落ち込み、低空飛行をしていたが、「ダメもとだ」くらいの気持ちで、自分の本棚を眺めてみた。そして、ふと手にしてみたのが、グレイス・ペイリーの短編集『人生のちょっとした煩い』(2005年、文藝春秋)である。どうしてこれが本棚にあるのかというと、村上春樹の翻訳書だからである。 脱力状態にて本書を手にしてみると、なにか妙にストレートに伝わるものがある。 村上春樹の訳者あとがきによると、著者ペイリーは、ロシアから移民してきたユダヤ人を両親として、1922年にニューヨーク市に生まれ、ロシア語とイディッシュ語と英語が同じくらいの割合で話されていた地域で育った、ということである。また、小説を書くかたわら、公民権運動家、反戦運動家、フェミニスト、環境保護運動家として先頭に立って活躍したということで、小説以外の仕事が多くて、作品の数は少ない。 本書に載せられた作品は、どれ一つとして同じ感じはなく、どれも違ったお話である。しかし、何というか、そこにはマイノリティーの視点があるのだと思う。移民2世のユダヤ人で、英語が得意でなく、かつ女性である、ということが、「アメリカ人作家」という枠を取り外した親近感を感じさせるのかもしれない。 村上春樹は、文体として、ペイリーとレイモンド・カーヴァーとの類似性を述べているのであるけれど、一般読者にはもっと自由な発想が許されていいだろう。ここでは、むしろ作品に描かれる日常性にこそ、両者の類似性を見たいと思う。カーヴァ..
村上春樹
イルカくん
2010-02-03T00:22:32+09:00
あるいは、幸せと言うより、充実を感じる時、と言った方が、ピッタリかもしれない。
つい2、3日前に気づいたことだけれど、自分がそういう充実感を感じている時というのは、読みたい本がたくさんあるという時かもしれない。つまり、読みたい本がたくさんあって、それらを同時並行的に、時間を見つけて少しずつ読んでいる時期っていうことだ。
言い換えると、もっと時間があれば、一気に読み終えて、もっとさらに関連の本をたくさん読んでいけるのに、と歯がゆいほどに感じる時は、けっこう自分としては充実しているのかもしれない。
しかし、まれに「読みたい本がない」という精神状態に、何の理由もなく、ストンと落ち込んでしまうような時もあって、これは困る。もちろん、いつもほんの2日くらいで収まるので、ご心配には及びませんが、けっこうな脱力状態である。
数週間前も、そこにストンと落ち込み、低空飛行をしていたが、「ダメもとだ」くらいの気持ちで、自分の本棚を眺めてみた。そして、ふと手にしてみたのが、グレイス・ペイリーの短編集『人生のちょっとした煩い』(2005年、文藝春秋)である。どうしてこれが本棚にあるのかというと、村上春樹の翻訳書だからである。
脱力状態にて本書を手にしてみると、なにか妙にストレートに伝わるものがある。
村上春樹の訳者あとがきによると、著者ペイリーは、ロシアから移民してきたユダヤ人を両親として、1922年にニューヨーク市に生まれ、ロシア語とイディッシュ語と英語が同じくらいの割合で話されていた地域で育った、ということである。また、小説を書くかたわら、公民権運動家、反戦運動家、フェミニスト、環境保護運動家として先頭に立って活躍したということで、小説以外の仕事が多くて、作品の数は少ない。
本書に載せられた作品は、どれ一つとして同じ感じはなく、どれも違ったお話である。しかし、何というか、そこにはマイノリティーの視点があるのだと思う。移民2世のユダヤ人で、英語が得意でなく、かつ女性である、ということが、「アメリカ人作家」という枠を取り外した親近感を感じさせるのかもしれない。
村上春樹は、文体として、ペイリーとレイモンド・カーヴァーとの類似性を述べているのであるけれど、一般読者にはもっと自由な発想が許されていいだろう。ここでは、むしろ作品に描かれる日常性にこそ、両者の類似性を見たいと思う。カーヴァーは、アメリカの労働者階級のオジサンの日常について書いた。ペイリーは同様にオバサンについて書いたのだ。
特にペイリーの描く風景について、印象に残ったものの一つに、キリスト教社会であるアメリカの地で、ユダヤ人すなわちユダヤ教徒として感じる日常的な違和感があげられる。言わずもがな、ユダヤ教は旧約聖書の世界であり、新約のイエスをキリストとして認めないので、クリスマスを祝うことはしない。しかし、どうしても我が子はアメリカの学校行事の中で、クリスマス・ペイジェントを演じたりするわけだ。その是非を夫婦で議論したりする風景、それが妙に共感させられた。日本で言うなら、さしずめ、公立学校における日の丸・君が代問題ということになるのかもしれない。
収録作品はそれぞれ特徴的ですので、オススメです。
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村上春樹のインタビュー
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2009-10-08
『モンキービジネス』という雑誌の第5号(2009年4月)に、村上春樹のインタビューが載っている。インタビューの日付は2008年12月16日、つまり『1Q84』の執筆中に行なわれたものだ。 この70ページにわたるロング・インタビューに、村上は非常に真摯に答えているようにみえる。そしてここに、ある回答が与えられているように思ったので、メモしておきたい。 ここで村上は、自分は総合小説というものを書きたいのだ、と語っている。村上の考える総合小説とは「とにかく長いこと、とにかく重いこと」「そしていろんな人物が、特異な人から普通の人まで次々に登場してきて、いろんな異なったパースペクティブが有機的に重ね合わされていく小説であること」だと言う。 「いろんな話が出てきて、絡み合い一つになって、そこにある種の猥雑さがあり、おかしさがあり、シリアスさがあり、ひとつには括れないカオス的状況があり、同時にまた背骨をなす世界観がある。そんないろんな相反するファクターが詰まっている。るつぼみたいなものが、ぼくの考える総合小説なんですよ。だからもうすぐ、ぼくも六十を過ぎるわけだけど、ドストエフスキーとまではいかないにしても、ぼくなりのそういう総合小説を徐々にこしらえていきたいと思っているんです。」 「ぼくにとっての総合小説というのは、たとえば、ティム・オブライエンの『ニュークリア・エイジ』がそういうものですね。あの小説のばらけ方と、ばらけることによって出てくる広がり。それからテーマがやたらと大きいことね。総合小説っていうのは、細部の出来よりは、全体のモーメントがものを言います。とにかくテーマがでかくないと面白くないですね。」 いま書いている新作(『1Q84』のこと)はその総合小説なのか、という質問に対しては、「ある意味ではそれに近いものになりつつあるのではないかと思います」と答えている。 なるほど、そうか。春樹は『1Q84』で「総合小説」にチャレンジしていたのか。たしかに『1Q84』の持っている世界というのは、ここで言われている総合小説の特徴を備えていると思う。つまり、春樹はけっこう健闘し、そうした試みもある程度かたちになっている、と言っていい。ティム・オブライエンの『ニュークリア・エイジ』(村上春樹訳、文春文庫)という例を出されると、たいへん分かりやすい。アメリカの学生運動時代の話で、大学におけるベトナム戦争反対運動に始まって、細部は忘れ..
村上春樹
イルカくん
2009-10-08T15:43:31+09:00
この70ページにわたるロング・インタビューに、村上は非常に真摯に答えているようにみえる。そしてここに、ある回答が与えられているように思ったので、メモしておきたい。
ここで村上は、自分は総合小説というものを書きたいのだ、と語っている。村上の考える総合小説とは「とにかく長いこと、とにかく重いこと」「そしていろんな人物が、特異な人から普通の人まで次々に登場してきて、いろんな異なったパースペクティブが有機的に重ね合わされていく小説であること」だと言う。
「いろんな話が出てきて、絡み合い一つになって、そこにある種の猥雑さがあり、おかしさがあり、シリアスさがあり、ひとつには括れないカオス的状況があり、同時にまた背骨をなす世界観がある。そんないろんな相反するファクターが詰まっている。るつぼみたいなものが、ぼくの考える総合小説なんですよ。だからもうすぐ、ぼくも六十を過ぎるわけだけど、ドストエフスキーとまではいかないにしても、ぼくなりのそういう総合小説を徐々にこしらえていきたいと思っているんです。」
「ぼくにとっての総合小説というのは、たとえば、ティム・オブライエンの『ニュークリア・エイジ』がそういうものですね。あの小説のばらけ方と、ばらけることによって出てくる広がり。それからテーマがやたらと大きいことね。総合小説っていうのは、細部の出来よりは、全体のモーメントがものを言います。とにかくテーマがでかくないと面白くないですね。」
いま書いている新作(『1Q84』のこと)はその総合小説なのか、という質問に対しては、「ある意味ではそれに近いものになりつつあるのではないかと思います」と答えている。
なるほど、そうか。春樹は『1Q84』で「総合小説」にチャレンジしていたのか。たしかに『1Q84』の持っている世界というのは、ここで言われている総合小説の特徴を備えていると思う。つまり、春樹はけっこう健闘し、そうした試みもある程度かたちになっている、と言っていい。ティム・オブライエンの『ニュークリア・エイジ』(村上春樹訳、文春文庫)という例を出されると、たいへん分かりやすい。アメリカの学生運動時代の話で、大学におけるベトナム戦争反対運動に始まって、細部は忘れたけれど、とにかく物語がどんどんスゴい展開になっていく分厚いものだった。この本の訳者あとがきで、春樹は「総合小説」について書いていた。
またインタビューでは、こうしたでかい話を書くには、当然、一人称ではとても書ききれない、だから長期的に見れば自分の小説は一人称から三人称にシフトしてきた、というように、総合小説へ向けた方法論についても述べているのである。
「おそらく「蜂蜜パイ」(『神の子どもたちはみな踊る』収録)のような小説は、昔のぼくだったら、それこそ一人称で書いているでしょうね。そういうふうに書かなくなってきたのは、ぼくがそれだけ年を取って、たぶんもうこういう考え方はしない、たぶんもうこういう物の見方はしない、というところが出てきたからかもしれないですね。それが自分の中で嘘になっちゃわないように、一人称で書かなくなったという部分もあると思います。」
『1Q84』の主人公は三十歳前後の男女であり、語り口は三人称である。前回、「春樹はなぜいつも若者ばかりを主人公にするのか」という疑問形の批判を書いたが、そうではなく、実は、ずっと若者を主人公にしてはいても、一人称から三人称へという変化を遂げてきている、ということだったのだ。そうした、小説家として一貫した成長への方向性を持っているという点、そういう方向性を読者にも語ってくれるという点は、春樹のエッセイなんかを読んでいて一番おもしろいところだし、評価したいと思う。
少し脱線になるが、この引用の中でもう一つ目を引くのは、「自分の中で嘘になっちゃわないように、一人称で書かなくなった」という点だ。春樹はつねづね、小説家は嘘をつくのが仕事、と語ってきたし、今年2月のエルサレム賞受賞の記念講演でもそのように枕を置いた。しかし講演では続けて「でも、きょう、うそをつくつもりはありません。真実をお話ししましょう」と言って、ガザ地区における戦闘について言及したのであった(毎日新聞、2009年3月2日)。こういう、ウソとホントというところの考え方も興味深い。が、また別の話としておく。
現在、3巻目を執筆中ということであるから、もしかして、この『1Q84』が総合小説として結実する、ということを期待できるかもしれない。まだまだ途上なのだ。『1Q84』も、村上春樹も。
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『1Q84』を読み終えた
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2009-08-17
数日前に、『1Q84』を読み終えた。 読後抱いたのは、思い切って一言でいってしまうと、失望感であった。 自らを振り返ってみて、読了直後の自分の感想が、その後もずっと変わらないなどということはない。村上作品をとってみると、たとえば高校生の時に『ノルウェイの森』を読んだ時の感想と、三十代になって読んだ時の感想とは全く異なっている。高校生の時は、その性描写が過激に写ったし、そもそも主人公の学生があまりにノンポリにすぎるように思えた。今でもあまり変わりはないが、その頃は今以上に痛烈にノンポリを害悪だと思っていたから、作品自体に対する評価も否定的だった。ところが、三十代で改めて読み直してみると、高校生の自分にはノンポリに見えたその主人公が、実はノンポリの正反対、すなわち狭い意味でポリティカルであるわけではないが主人公なりに世界の問題を意識し鋭く批判しているということが行間から読めたのである。そもそも、この体験が、村上春樹の全著作を読破してみようと思った発端だった気がする。それゆえ、昨今東アジア地域で村上作品が読まれる際の、スタイリッシュな都会派生活とその孤独感などという読みは、裾野を広げる意味はあっても、どうも真の作品理解とは言えないような気がして仕方ない。 少し脱線したが、つまり、言いたいのは、読後直後の感想は得てして変わりうる、ということである。読了から今に至る、たった数日の間ですら、感じ方は刻々と変化してきている。ましてや、『1Q84』読本なるものまで登場しているのだから、そんなものをパラパラめくった日には、ぐらぐらと自分の中の印象が揺さぶられて、その他大勢の感想の中に埋もれて雲散霧消してしまうかもしれないし、ある批評の影響を受けてそれに同調してしまうかもしれない。しかし、いや、だからこそ、読後直後のナマな自分の感想をメモしておきたいと思う。できれば一刻も早く。 以下、極私的覚え書き。・ 初めのうちは良かった。第1巻は、言葉は悪いが、まるで新聞の三面記事を読むような感覚で「なになに、次は一体どうなるんだ??」という調子で、ぐいぐいとストーリー展開に引き込まれた。細部もいいし、全体のバランスもいい。並行して進められる二つのお話において、あらゆる事柄が一定のリズムでめくるめく語られ、「この本で村上春樹は世界を描ききってしまうのではないか」という、かなり大げさに言えば、怖れみたいなものすら抱いた。・ 作風、テイストについ..
村上春樹
イルカくん
2009-08-20T01:31:27+09:00
読後抱いたのは、思い切って一言でいってしまうと、失望感であった。
自らを振り返ってみて、読了直後の自分の感想が、その後もずっと変わらないなどということはない。村上作品をとってみると、たとえば高校生の時に『ノルウェイの森』を読んだ時の感想と、三十代になって読んだ時の感想とは全く異なっている。高校生の時は、その性描写が過激に写ったし、そもそも主人公の学生があまりにノンポリにすぎるように思えた。今でもあまり変わりはないが、その頃は今以上に痛烈にノンポリを害悪だと思っていたから、作品自体に対する評価も否定的だった。ところが、三十代で改めて読み直してみると、高校生の自分にはノンポリに見えたその主人公が、実はノンポリの正反対、すなわち狭い意味でポリティカルであるわけではないが主人公なりに世界の問題を意識し鋭く批判しているということが行間から読めたのである。そもそも、この体験が、村上春樹の全著作を読破してみようと思った発端だった気がする。それゆえ、昨今東アジア地域で村上作品が読まれる際の、スタイリッシュな都会派生活とその孤独感などという読みは、裾野を広げる意味はあっても、どうも真の作品理解とは言えないような気がして仕方ない。
少し脱線したが、つまり、言いたいのは、読後直後の感想は得てして変わりうる、ということである。読了から今に至る、たった数日の間ですら、感じ方は刻々と変化してきている。ましてや、『1Q84』読本なるものまで登場しているのだから、そんなものをパラパラめくった日には、ぐらぐらと自分の中の印象が揺さぶられて、その他大勢の感想の中に埋もれて雲散霧消してしまうかもしれないし、ある批評の影響を受けてそれに同調してしまうかもしれない。しかし、いや、だからこそ、読後直後のナマな自分の感想をメモしておきたいと思う。できれば一刻も早く。
以下、極私的覚え書き。
・ 初めのうちは良かった。第1巻は、言葉は悪いが、まるで新聞の三面記事を読むような感覚で「なになに、次は一体どうなるんだ??」という調子で、ぐいぐいとストーリー展開に引き込まれた。細部もいいし、全体のバランスもいい。並行して進められる二つのお話において、あらゆる事柄が一定のリズムでめくるめく語られ、「この本で村上春樹は世界を描ききってしまうのではないか」という、かなり大げさに言えば、怖れみたいなものすら抱いた。
・ 作風、テイストについても、第1巻においてはブレはなかったと思う。つまり、作者は物語を制御しきれている、あるいは、誰か理性を持った者によって物語が管理されている、という感じがあった。つまり、たとえば『ねじまき鳥クロニクル』では、夫婦の話がそのうちにノモンハン事件へと一気に飛躍してしまう感じがあって、途中から何度もテイストが変わっていくのだが、今回はそうした作品の雰囲気、テイストは少なくとも前半においては変わることなく、がっしりと構築されているように思えた。とはいえ、これは良いことなのか、悪いことなのか。テイストの変化は、作品の完成度を左右するか。少なくとも『ねじまき鳥』を読んでいる最中は、そうしたテイストの変化が必然のように感じられたし、そうした言わば不器用なゴツゴツとしたものが作家という通り道をくぐり抜け提示された生まれたての物語なのであり、それこそ「ものがたり」なのだと思える高まりがあった。だからこそ、解決されないナゾが残ろうと、そこには強い魅力があった。しかし、そうした魅力とは異なった、ぶれない魅力というものが、もしかしてこの新しい作品にはあるのかもしれない、と期待した。
・ 本書には、冒頭から暗い部分があり、暴力性と言っていいかもしれない面が織りこまれている。それらの背景として、『アフターダーク』における闇の延長が感じられた。たしか、誰もいない暗い部屋の中に箱が置いてあるような、そういうシーンが何回か描かれていたように思う。このシーンが持っている闇、うす気味悪さ、暴力は、本作品においてどのような着地点を見出すのか、という興味もあった。
・ 第1巻の終わる頃、二つの並行して進むお話に、ある接点が示唆され始めると、がぜん面白くなって、期待が高まる。しかし、第2巻に入り、はっきりと両者が接続されてくると、話のスケールが一気にしぼんで、単なる男女二人の出会いものになってしまった。
・ この本の出版翌日の朝のNHKニュースで、某という評論家が登場し、「本書は言わば、村上春樹のオウム取材の経験から生み出された小説である」という内容のことを話しているのを見た。村上春樹によるオウム取材の結実としては、地下鉄サリン事件被害者やオウム信者へのインタビュー集である『アンダーグラウンド』と『約束された場所で』がけっこう良かったので、その番組を見て以降、「小説ではオウムという要素は果たしてどうなるのか」、「小説の中で宗教はどのよう描かれるのか」というのが今回自分のこの本に対する最大の関心事となった。しかし、それはこちらの勝手な思い込みだったのかもしれない。つまり、どういうことかと言うと、もしかしてこの作品の中で宗教は自分が期待したほど重要な扱いを受けていないのかもしれない、ということである。というのも、この物語で描かれる宗教とは言ってみればカルト宗教であるが、単に教祖が超能力を持っているということが描かれるのみなのである。超能力を見せられて、これが宗教です、信者を集めてますと言われても、説得力がない、と思う。もちろん、新約聖書を読めば、イエス・キリストだって数々の奇跡を行なったことが知られる。しかし、イエスの奇跡は人を救う奇跡だった、と思う。やみくもにベッドサイドの置き時計を念力で持ち上げたりはしないし、千里眼のように人の心理を見通して言い当てたりもしない。それって、あまりにプリミティブにすぎる。それにまた、そうした教祖を信じる信者たちの信仰の諸相については描写がない。触れずにベールに包むことにより、不気味さを醸し出そうとしているのだと思うけれど、そのせいで、そうした教団が存在するということのリアリティーも今ひとつ湧いてこない。
・ 主人公の男性と、カルト教団の巫女的存在である少女とのセックスが描かれるが、どうも、このセックスを宗教的行為、秘儀のように捉えているフシがあって、この単純さは頂けない。『海辺のカフカ』で、主人公の少年と、想像上の母親が近親相姦する描写があるが、それ以上に単純というか、薄っぺらである。本作に限らないが、春樹作品はセックスに物語の重要な要素を預けすぎるきらいがある。
・ 物語の最後は、結局、三十歳前後の男の自立物語に終わる。これじゃあ、結果は『ダンス・ダンス・ダンス』と同じだ。主人公に共感できることを望むわけではないが、四十間近の読者として見れば、今さら三十男の父親からの自立なるものに付き合わされることほどつまらないことはない。そもそも春樹はなぜいつも若者ばかりを主人公とするのか。なぜ、六十代の人間が、若者ばかりを描くのか。中年や老年を描けないのか。まさか、読者層(購買層)をマーケティングした結果ではないと思うのだけれど。たとえば、春樹が全訳しているレイモンド・カーヴァーだって、ほとんど主人公は中年男性だし、春樹自身もエッセイでは『遠い太鼓』で四十という大台にのぼる境い目の心の動きを如実に記している。また『グレート・ギャッツビー』の訳者あとがきでは、六十に差しかかった作家の切実な焦りが記されてもいる。だから、なぜだろうと思う。
今は、そのうちまた読み直す機会がやって来て、この読後感を大きく変えてくれることを、期待しています。
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『1Q84』読み始め
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2009-07-28
ひさーしぶりに、春樹ネタである。 いやー戻ってくるまで長かったなぁ。 ということで、ちまたを席巻している『1Q84』をついに購入した。なんでも現在、東京の印刷所・製本所は、この本の嵐が吹き荒れており、大わらわであるとの由。 ベストセラーにはつい斜に構えてしまい、これまで流行っている最中に買ったことは、あまりない。『ダヴィンチ・コード』を読んだのは翻訳が出てから3年後だし、『超整理法』に至っては出版後10年以上経った昨年初めて読んだ。いずれもたいへん面白く読んだ。しかし、周りに話そうにも、皆、忘却の彼方である。やはり面白い本については、流行っているうちに読んで、皆と感想を共有したいもんだなぁと思ったりする。それに、そもそも村上春樹の新作に対して斜に構えると、何のために同時代作家を選んで読破してやろうと決めたか分からなくなる。といった理由で、今、嵐が吹き荒れているうちに読んでみようと思ったのである。 現在、読んだのは上下全48章のうち、9章まで。約5分の1。紙の厚さにしておよそ8ミリ程度である。しかして、ほとんど読まずに語る状態ではあるが、今の時点で、自分の期待も含めて、いくつかメモを取っておきたい。・ 『世界と終わりとハードボイルド・ワンダーランド』において、「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」に分けて物語が同時進行したのと同様に、また、たしか『海辺のカフカ』とも同様に、本作においても二つの物語が同時進行する。このような方式が幾度も採られるということには、村上作品を分析する上でどういう意味があるのだろうか。あるいは、どの作家もやっている常套の手段として片付けていいものだろうか。・ 主人公の一人は小説家の卵であり、この人物が文章を作っていく過程が克明に書かれている点は、個人的に非常に興味深い。なぜならそれが、普段自分が仕事で作文している作業過程によく似ていて、とてもよく分かったからだ。これまで、小説家というのは、自分の中から沸き上がる物語を自然に紙に書き留めていくような印象を持っていたが、実は違って、自分が作文する時と同じように、とりあえず打ち込んだ上で、それを何遍も推敲する、ということをするんであるなぁと思った。推敲、と一言でいうけれど、すなわちその過程とは、ひとまず題材とすべき事柄を羅列すること、その中で重要なポイントを抽出すること、それに相応しい言葉を選ぶこと、こなれた言葉を選ぶこと、そして..
村上春樹
イルカくん
2009-07-29T01:10:02+09:00
いやー戻ってくるまで長かったなぁ。
ということで、ちまたを席巻している『1Q84』をついに購入した。なんでも現在、東京の印刷所・製本所は、この本の嵐が吹き荒れており、大わらわであるとの由。
ベストセラーにはつい斜に構えてしまい、これまで流行っている最中に買ったことは、あまりない。『ダヴィンチ・コード』を読んだのは翻訳が出てから3年後だし、『超整理法』に至っては出版後10年以上経った昨年初めて読んだ。いずれもたいへん面白く読んだ。しかし、周りに話そうにも、皆、忘却の彼方である。やはり面白い本については、流行っているうちに読んで、皆と感想を共有したいもんだなぁと思ったりする。それに、そもそも村上春樹の新作に対して斜に構えると、何のために同時代作家を選んで読破してやろうと決めたか分からなくなる。といった理由で、今、嵐が吹き荒れているうちに読んでみようと思ったのである。
現在、読んだのは上下全48章のうち、9章まで。約5分の1。紙の厚さにしておよそ8ミリ程度である。しかして、ほとんど読まずに語る状態ではあるが、今の時点で、自分の期待も含めて、いくつかメモを取っておきたい。
・ 『世界と終わりとハードボイルド・ワンダーランド』において、「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」に分けて物語が同時進行したのと同様に、また、たしか『海辺のカフカ』とも同様に、本作においても二つの物語が同時進行する。このような方式が幾度も採られるということには、村上作品を分析する上でどういう意味があるのだろうか。あるいは、どの作家もやっている常套の手段として片付けていいものだろうか。
・ 主人公の一人は小説家の卵であり、この人物が文章を作っていく過程が克明に書かれている点は、個人的に非常に興味深い。なぜならそれが、普段自分が仕事で作文している作業過程によく似ていて、とてもよく分かったからだ。これまで、小説家というのは、自分の中から沸き上がる物語を自然に紙に書き留めていくような印象を持っていたが、実は違って、自分が作文する時と同じように、とりあえず打ち込んだ上で、それを何遍も推敲する、ということをするんであるなぁと思った。推敲、と一言でいうけれど、すなわちその過程とは、ひとまず題材とすべき事柄を羅列すること、その中で重要なポイントを抽出すること、それに相応しい言葉を選ぶこと、こなれた言葉を選ぶこと、そして最終的には自分というナマの状態を出さず、文章のみで事柄を伝えるようにすること。こうしたことが、明確に書かれていて、意を得た感じを抱いた。
・ 村上春樹は、『ノルウェイの森』において、リアリズム小説にチャレンジした、と語っている(出典はたしか『そうだ村上さんに聞いてみよう』とか何とかいう本だったと思う)。したがって、つまりはそれ以前の作品においては、ファンタジーというか、超常現象というか、とにかく空想的な事象(典型的には羊男という存在など)が描かれていて、それが春樹の作品の独特な雰囲気を醸し出しているのである。ということを踏まえると、本作においてオウム真理教取材の経験によって新興宗教を取り上げると聞けば、おそらく彼らの反社会性を批判するのであろうと推測してしまうのだけれど、考えてみれば、新興宗教あるいは都会派宗教のもつオカルティックな部分については、村上作品はファンタジーという表現において類似性を有しているのではないだろうか。つまり作風的には何ら新規で突飛な分野ではなかろうというふうに思う。(しかしすぐに注記しておくが、これは決して、春樹がオウムにシンパシーを抱いているということを言っているのではない。職場で話したら、そのように誤解された)。
・ 本作において宗教が描かれるのであれば、それがどのようなものであるかはまだ分からないが(何せ読み始めたばかりゆえ)、大江健三郎が『燃え上がる緑の木』で描いたような宗教的な物語を描けるかどうか、というのが個人的に注目したい点である。なぜなら、村上は『海辺のカフカ』で大江的な四国を舞台とした物語を書いているし、何かにつけ大江とは因縁の仲であろうはずだからということもある。が、それ以上に、あくまで個人的な問題意識として、この無宗教の日本という地において、日本語で、果たしてどのような宗教的物語が生み出され、受け入れられるか、ということに関心があるのである。これは個人的な、半ば期待である。もちろん、オウム真理教の反社会性、すなわちそれはこれまで村上作品で取り上げられてきた、旧日本軍や全共闘運動にも共通する日本の問題性でもあるのであるが、そうした日本に巣くう無責任構造、事なかれ主義、日和見主義等々を取り上げて、奥底で辛辣な批判を加えるのは大歓迎なのではあるけれど、ここでは一つ、宗教物語、というものを期待しておきたい。
そういうことで、読むのが楽しみです。
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先進国の「男の子問題」
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2009-07-03
パラパラと『書斎の窓』(有斐閣)のバックナンバーをめくっていたら、2008年11月号に興味深い記事が載っていた(伊藤公雄「書評:柏木恵子・高橋恵子編『日本の男性の心理学-もう1つのジェンダー問題-』(有斐閣、2008)」)。 最近、先進国では「男の子問題」というものが顕在化している、ということである。 すなわち、上記記事によれば、OECD(経済開発協力機構)の学力調査では、中等教育レベルでの低学力層には明らかに男の子が目立っている。OECDの2003年データでは、加盟国の同世代の大学型高等教育への進学率は、女性51%に対し男性は41%で、10%も水をあけられている。そして、この大学進学率における女性優位は、経済先進諸国が教育に力を入れるようになった1990年代以後、顕著な傾向として生まれたもので、同じOECDのデータでは、男女平等度と女性の学力の高さはかなりはっきりとした相関があるとされている。つまり、ジェンダー・バイアスが解消された社会では、男の子に分が悪い状況が始まっており、多くの経済先進国では、学力における男女差(つまりは男子の学力低下)がかなり問題にされつつある、ということである。 これってけっこう面白いと思うが、どうだろうか。前から、「女が出来るようになったら、男はしぼむ」という理屈を巷で耳にすることはあったけれど、本当にそうした相関性による現象が現実に起こっているということに、へぇ~と思った。学力差に影響するであろう家庭環境や教育環境は、個人レベルでの差であって、性別の差ではないようにも思うが、でもこうして歴然とした差が生じているのには、何か理由があるはずだ。なぜ、女が台頭すると男はしぼむのか。どうして、ちょうど同じくらい、ということにならないのか。 学問的な分析はきっときちんとなされるのだろうけれど、とりあえず思うのは、やっぱり男の子の側に、女には負けられないという心理があって、負けるとやる気が失せてしまう、ということがあるのではないかと思う。前に何かで読んだが、妻の収入が夫の収入の何割か(6割だっけか)を超えると夫の精神的ストレスが高まるんだとか。上に立たねばならないという強迫観念ってあるのかもしれない。男はつらいよ、である。 とはいえ、うちの子どもはまだ未就学児ゆえ、身近で「男の子問題」を感じることは無い。大学生に接していると、かすかな印象くらい感じたりするのだろうか。いずれにしても、上記記事..
本
イルカくん
2009-07-03T00:41:24+09:00
最近、先進国では「男の子問題」というものが顕在化している、ということである。
すなわち、上記記事によれば、OECD(経済開発協力機構)の学力調査では、中等教育レベルでの低学力層には明らかに男の子が目立っている。OECDの2003年データでは、加盟国の同世代の大学型高等教育への進学率は、女性51%に対し男性は41%で、10%も水をあけられている。そして、この大学進学率における女性優位は、経済先進諸国が教育に力を入れるようになった1990年代以後、顕著な傾向として生まれたもので、同じOECDのデータでは、男女平等度と女性の学力の高さはかなりはっきりとした相関があるとされている。つまり、ジェンダー・バイアスが解消された社会では、男の子に分が悪い状況が始まっており、多くの経済先進国では、学力における男女差(つまりは男子の学力低下)がかなり問題にされつつある、ということである。
これってけっこう面白いと思うが、どうだろうか。前から、「女が出来るようになったら、男はしぼむ」という理屈を巷で耳にすることはあったけれど、本当にそうした相関性による現象が現実に起こっているということに、へぇ~と思った。学力差に影響するであろう家庭環境や教育環境は、個人レベルでの差であって、性別の差ではないようにも思うが、でもこうして歴然とした差が生じているのには、何か理由があるはずだ。なぜ、女が台頭すると男はしぼむのか。どうして、ちょうど同じくらい、ということにならないのか。
学問的な分析はきっときちんとなされるのだろうけれど、とりあえず思うのは、やっぱり男の子の側に、女には負けられないという心理があって、負けるとやる気が失せてしまう、ということがあるのではないかと思う。前に何かで読んだが、妻の収入が夫の収入の何割か(6割だっけか)を超えると夫の精神的ストレスが高まるんだとか。上に立たねばならないという強迫観念ってあるのかもしれない。男はつらいよ、である。
とはいえ、うちの子どもはまだ未就学児ゆえ、身近で「男の子問題」を感じることは無い。大学生に接していると、かすかな印象くらい感じたりするのだろうか。いずれにしても、上記記事が付け加える事実として、日本における大学進学率は男性48%に対して女性33%ということであるからして、日本ではまだまだ「女の子問題」が先なのである。
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久しぶりにICCに行ってみる
https://iruka-kun.blog.ss-blog.jp/2009-02-11
子連れで、久しぶりに新宿初台のICC(NTTインターコミュニケーション・センター)に行ってきました。 結論、ICCは、いい。子連れにいい。恐ろしく気に入った。ICCの入ったオペラ・シティ全体の感想でもあるが、広くて、静か。人口密度が低いから、走り回ったってぶつかるという危険がない。室内で、暖かい。レストランも空いている。歌う大きなロボット広場では、けっこう質の良いストリート・ミュージシャンが何組も出演している。オカリナ吹きのお姉さんは、最後にポニョを吹いてくれたし、ブラスバンドでラッパを吹いていたお姉さんは子どもに手を振り返してくれた。 さて、ICCでは、無料スペースに、惜しげもなくいくつものメディア・アート作品が展示してある。 うちの子どもはもう大はしゃぎ。不思議な機械(=作品)がたくさん置いてあるし、ゲームができるパソコンもある(家では触りたくてもなかなかパソコンを触らせてもらえないので)。暗い小部屋に作品がある場合は怖がってしまうから長居できないが、それ以外は、さすがインタラクティブ・アート、子どもウケがいい。なぜもっと子連れがいないんだろう。でも、子どもが多いと、きっと係の人は大変ですね。(子どもが或る作品に突進して行ったところ、係のお姉さんに「感電するので!」と注意されました。すみません。) 大人だけ、有料の展覧スペースにも交代で入った。 「ライト・[イン]サイト——拡張する光、変容する知覚」(〜2009年2月28日) タイトルにあるように、光と知覚をテーマにした、非常に高技術な作品群。例えば、視線入力装置を使って、視線の動きでかかれた作品とか、ストロボをはなって体験者の影を壁にバシッと写し取る作品とか。以前だったら、「へぇおもしろいなぁ」というだけであまり気に留めなかったかもしれないけれど、久しぶりにアートな空間に身を置いてみると、気持ちが何かこう新鮮で、単純に、「アートはここまで来てるのだ」という感慨をもった。一気に過去から現在にタイム・スリップしたような気になった。 とはいえ、これら最新技術な作品群の入口と出口に配された作品は、ナムジュン・パイクの「キャンドル・テレビ」(1980)と、ヨーゼフ・ボイスの「カプリ・バッテリー」(1985)であった。これは言わずもがな、今の最新技術を駆使したメディア・アートも、彼ら「古典」作品に連なるものであって、現代美術史の系譜の中に位置づけられるものなのだ..
アート
イルカくん
2009-02-12T00:53:14+09:00
結論、ICCは、いい。子連れにいい。恐ろしく気に入った。ICCの入ったオペラ・シティ全体の感想でもあるが、広くて、静か。人口密度が低いから、走り回ったってぶつかるという危険がない。室内で、暖かい。レストランも空いている。歌う大きなロボット広場では、けっこう質の良いストリート・ミュージシャンが何組も出演している。オカリナ吹きのお姉さんは、最後にポニョを吹いてくれたし、ブラスバンドでラッパを吹いていたお姉さんは子どもに手を振り返してくれた。
さて、ICCでは、無料スペースに、惜しげもなくいくつものメディア・アート作品が展示してある。
うちの子どもはもう大はしゃぎ。不思議な機械(=作品)がたくさん置いてあるし、ゲームができるパソコンもある(家では触りたくてもなかなかパソコンを触らせてもらえないので)。暗い小部屋に作品がある場合は怖がってしまうから長居できないが、それ以外は、さすがインタラクティブ・アート、子どもウケがいい。なぜもっと子連れがいないんだろう。でも、子どもが多いと、きっと係の人は大変ですね。(子どもが或る作品に突進して行ったところ、係のお姉さんに「感電するので!」と注意されました。すみません。)
大人だけ、有料の展覧スペースにも交代で入った。
「ライト・[イン]サイト——拡張する光、変容する知覚」(〜2009年2月28日)
タイトルにあるように、光と知覚をテーマにした、非常に高技術な作品群。例えば、視線入力装置を使って、視線の動きでかかれた作品とか、ストロボをはなって体験者の影を壁にバシッと写し取る作品とか。以前だったら、「へぇおもしろいなぁ」というだけであまり気に留めなかったかもしれないけれど、久しぶりにアートな空間に身を置いてみると、気持ちが何かこう新鮮で、単純に、「アートはここまで来てるのだ」という感慨をもった。一気に過去から現在にタイム・スリップしたような気になった。
とはいえ、これら最新技術な作品群の入口と出口に配された作品は、ナムジュン・パイクの「キャンドル・テレビ」(1980)と、ヨーゼフ・ボイスの「カプリ・バッテリー」(1985)であった。これは言わずもがな、今の最新技術を駆使したメディア・アートも、彼ら「古典」作品に連なるものであって、現代美術史の系譜の中に位置づけられるものなのだ、という開催者の意図を示しているのであろう。それもまた、たいへん納得のいくいい展覧会だったと思う。
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