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村上春樹と中国(その3) [村上春樹]

 イルカくんです、こんにちは。

 結局、春樹にとって中国とはどういう存在なのか。

 藤井省三「村上春樹のなかの中国を読む」第3回(『UP』7月号)は、「「ジェイズ・バー」という歴史の記憶−−『風の歌を聴け』論」という題で、『風の歌を聴け』『一九七三年のピンボール』『羊をめぐる冒険』に登場する「ジェイズ・バー」のマスター、「ジェイ」とは何者かという謎解きから始まります。

 曰く、「ジェイとはアメリカ兵により命名されて中国名を失った在日中国人」であり、「戦後の日中米三国間系の目撃者」である、と。そして、「僕」が日本軍兵士として上海で死んだ叔父の話を「ジェイ」に語っていることなどから、「ジェイズ・バー」とはすなわち、「日中戦争から朝鮮戦争、ベトナム戦争という二〇世紀の半ばに東アジアで日中米の三ヵ国が入り乱れて戦った戦争体験を記憶する場であったのだ」と。

 藤井論文はこのように「ジェイ」と「ジェイズ・バー」を位置づけてから、その延長として、のちの『ねじまき鳥クロニクル』および最近の『アフターダーク』における歴史の描かれ方についても独自の読解をして、そうした上で1998年に台湾誌のインタビューに答えた村上自身の言葉を紹介しています。このインタビューが、なんというか、イルカくんにとってはけっこうな大発見だったんですけれど、村上春樹という小説家の創作の秘密を知る上でかなり重要な話なんだと思います。引用します。

 「僕の父は戦争中に徴兵されて中国大陸に行きました。父は大学時代に徴兵されて兵隊となったのでして、父の人生はあの戦争のために大きく変わってしまいました。僕が子供の頃の父は決して戦争のことは口にしませんでしたが、しばしば中国の風土や民情を話していました。「中国」は僕にとって実在するものではありませんが、しかしとても大事な「記号」なのです。……僕はただ僕の記憶の影を書いているだけなのです。中国は僕にとって書こうと思って苦心して想像するものではなく、「中国」は僕の人生における重要な「記号」なのです。」(44頁。原記事は洪金珠「村上春樹的霊魂裏住着中国記印」『中国時報』1998年8月5日)

 えっと、これまでイルカくんは、春樹作品にみる日中関係の歴史というテーマも「全共闘世代と村上春樹」という視点から考えることができるんじゃないか、言い換えると、春樹が日中戦争に関心をもつのは彼の過ごした学生運動という時代の関心が反映しているのではないか、なんて思っていたんですけれど、このインタビューによってその仮説をくつがえされました。なんだか、そんな浅薄な推測をした自分が恥ずかしくなっちまいます。つまり、春樹にとっての「中国」とは、学生時代のいわば後天的な記憶ではなく、子供時代の、言ってみれば先天的な記憶によって成立しているのです。中国というテーマは春樹にとって、とても個人的なものなんだ、と考えることによって初めて、初期作品から現在まで一貫して扱われてきたことの説明がつくんだと思います。

 藤井氏はまた、朝日新聞でのインタビューも引用していて、それによると春樹は次のように答えているそうです。「僕にとって、日中戦争というか、東アジアにおいて日本が展開した戦争というのは、ひとつのテーマになっています。」(44頁。原記事は由里幸子「村上春樹が語る(下)揺れ動く世界と若者と」『朝日新聞』2005年10月4日夕刊)

 ここまで明確に答えているのは、意外な印象もありますけれど、それゆえにスゴイことだと思います。これで、村上春樹の軟派イメージって一掃されるんじゃないでしょうか。イルカくんは、春樹の軟派エッセイ(?)も好きなんですけれど、それはそれとして……。

 藤井論文は最後に、「これまで記号としての「中国」を書いてきた村上春樹は、いよいよ東アジアの歴史の記憶を直視する作品を書き始めているのではあるまいか」との推論で締めくくられます。これって、けっこう面白い推測ですよね。春樹は『アンダーグラウンド』でサリン事件の取材をして、その頃から、いずれは暴力について書いてみたいと言ってますし、次の作品のテーマとしていったいどんなものが選ばれるのか、そういう楽しみ方も有りだと思います。

 これで一応「村上春樹と中国」はおしまいですけれど、藤井先生のご論文にぐぐっと刺激を受けて、イルカくんの今後の読書計画としては、『村上春樹全作品』をどこかでゲットすることと、早く『アフターダーク』までたどり着くこと、そして『ねじまき鳥』を読み返すことかな。今は、じつは『翻訳夜話2サリンジャー戦記』(共著、2003年、文春文庫)を読んでいまして、これがまたなかなか面白いので、また近いうちに、村上訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の話とともに書きたいと思っています。


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