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外山滋比古先生に励まされる [子ども]

 といっても、直接お会いしたわけではない。新著の『「マイナス」のプラスーー反常識の人生論』(講談社、2010年1月)を読んだからである。

 外山滋比古先生は、昨年からその著書『思考の整理学』(ちくま文庫)がブームになっている著名な英文学者である。1923年生まれというから、今年87歳を迎えられることになるお人だ。ここまで生きて来られて、しかも現在もごくふつうに平易な自らの言葉でかつ知的な執筆活動を行なっているということで、妙に書かれたことには納得させられてしまう。

 「まえがき」によれば、外山先生は、9歳でお母さんを亡くされたということである。よく、自分を不幸だと嘆く若者がいるが、自分も思えば9歳で親を亡くすということは不幸なことであった。しかし子供であるから、不幸ということも知らなかった。たんたんとその苦労を忍んで来られたのであろう。何十年かして、これは母が死をもって与えてくれた、ありがたい経験だったのだと思うようになったという。大きな悲しみ、苦しみを乗り越えてきたのだと思うと、それが大きな自信になり、その後も不遇があってもへこたれずにやって来られたのだという。

 そして、本文では、いかにマイナスでスタートした人間がその後プラスに転換していくか、それとは逆に、初めにプラスでスタートした人間がいかにその後パッとしないかということが、数々のエピソードによって語られていく。つまり人間は、逆境の中で耐え抜くという経験を通して成長するものだ、ということなのである。外山先生は、筑波大学の前身である東京教育大学で主に教鞭をふるわれたが、東京教育大学は学校の教師を育成する大学であるので、自ずと外山先生の学生もほとんどは教師になったのだろう。卒業生から、よく教育現場の話をお聞きになったのではないか。そのご経験からか、子供の教育に関するエピソードが目立つように思う。

 ひるがえって、自分と子供との付き合い方を考えてみるに、自分はなるべく子供には悲しい思い、つらい思いをさせたくないと思って振る舞ってきたように思う。そのために、できるだけ子供の要求を聞いてやりたい、と思ってきた。しかし、そんなことは無理があるのは歴然としている。小さな子供は悪意はないが、自分の勝手な要求のオンパレードなのだから。

 たとえば保育園の送迎時に、ベビーカーに乗りたくない、抱っこして欲しいとせがまれるとする。でもこちらは荷物もあるし、ベビーカーも押さなくちゃいけないし、腰は痛いしで、抱っこはできないことを言葉と態度で教えさとした上で、決して嫌いだからじゃなくて、大好きなんだけど、できないんだと話す。しかし、そんな話が通じる世界に子供は生きていない。時に納得してくれても、時に納得せず、路上で大泣きして、叫びまくることとなる。子育て経験者なら、どなたでも、ご経験がおありと思う。他の方はどうだか知らないが、実のところ自分は、こうした状況に、むしょうに腹が立ってしまう。子供が悪いんじゃない、そんなことは分かっている。誰が悪いんでもない。ただ、状況にいら立つのである。先日は、子供の強烈な要求をのんでおんぶしたものの、気持ちを鎮めるために、思わず無人のベビーカーを何度か蹴り飛ばした。

 なぜ、自分はこうなるのかを考えてみると、とことんまで子供の要求を聞いてやりたい、聞いてやらなきゃいけないと思ってしまうからなのではないかと思う。だから、限界まで我慢してみるのだけれど、すぐに破綻してしまうということなのではないか。なぜ、子供の要求を限界まで聞いてやりたいと思うのか、それは子供がかわいそうだと思うからだと思う。こんなに泣かせていいのか、と思ってしまっていたのである。

 しかし、である。外山先生のいう、逆境でこそ人は成長する、と考えれば、多少子供に我慢をさせて、泣かせておいてもいいのだと思った。すべてが満たされていてはいけないのである。

 そして、自分の幼少時代を思い返してみた。自分の実家は、今のうちと同じで、両親が共稼ぎで、やはりうちの子供と同じ0歳児から保育園に通い、小学校低学年は学童に、高学年以降はかぎっ子だった。だから、平日、親がいないという心細さと、それに伴う緊張感というのは鮮明に覚えている。外山先生的に考えるなら、自分にとっては、この心細さ(緊張)というものとかなり古くから付き合っていると思った。心細い状況には敏感で、人よりも一層心細く感じるようにできていると思う。でも、心細いのに耐えるということには慣れているのかなと思った。ポジティヴに考えれば、こうした耐性のお蔭で、今の仕事においても、数々の心細さを経験しながらも、なんとか続けていられるのだと思う。

 振り返ってみると、意識はしていなかったけれど、自分が味わった、一人でいる心細さや寂しさを子供には味合わせたくなくて、子供と一緒の時はできるだけ子供に悲しくないようにしてやろうと思ってしまっていたのかもしれない。そしてそれができようはずもないので、板挟みで押しつぶされてしまっていたのだと思う。

 外山先生の本を読んで、親が子に対して万全なものを与えることは却ってよろしくないという、開けた気持ちになった。

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マクラーレンのベビーカー問題 [子ども]

 おととい、ようやくマクラーレンのベビーカーの事故を防ぐ無償カバーが届いた。実のところ、これには、関係各社の対応に、にがにがしいものが残った。マクラーレン社しかり、正規輸入元の野村貿易しかり、そして並行輸入業者(うちの場合はガリバー)しかりである。結局、三者とも、事故の問題を自社の問題としてとらえてはいない。各社の対応を見ていると、自分は最小限の負担ですませたい、あとは他社が責任を持つべきだ、という考えが透けて見える気がする。

 ことの発端は、昨年の11月。マクラーレンのベビーカーを開く時に、ちょうつがい部分に乳幼児の指が挟まり怪我が発生し、そのうち2件が重大事故であったという事態を受け、経済産業省がイギリスのマクラーレン社に対策をこうじるよう通告したことに始まる。しかし、これ以前からアメリカでは、子どもの指の切断という重大事故が多数起こり、実際、大規模リコールという問題は起きていた。

 世界各地での苦情、通告を受けて、マクラーレン社は、該当箇所をおおう布製のカバーを無償配布することを決め、日本においては11月末、正規輸入代理店である野村貿易が、マクラーレン社から届いた無償カバーを配布するための受付を始めた。しかし、野村貿易を通じての配布は、正規輸入分のみということで、ベビーカーに記載されている製品番号を申告させ、日本正規輸入品と認められない場合は配布しないということになった。

 経済産業省は、野村貿易の対応を受けて、正規外のルートで購入した消費者の安全のため、法律的には輸入品の製品不具合の問題の責任は並行輸入業者にあるとして、正規輸入業者と同様の対応、すなわち無償カバーの配布を並行輸入業者に求めた。ここまでが昨年11月の出来事である。

 さて、わが家のマクラーレン・ベビーカーは、ガリバーというライブドア系列(たしか)の会社から、ネット通販で購入した。価格は、デパートで見た時は4万6千円くらい、ガリバーではたしか2万6千円くらいだったと思う。この値段の明らかなる差により、同じくネット通販で格安で手に入れた消費者は多いはずだ。実際、リコールプラスというサイトを見ると、2月5日付のページに今回の対象台数が載っていて、それによれば、野村貿易が約17万台、その他の輸入業者で約9万7千台を販売しており、対象となる機種の約36パーセントを並行輸入業者が販売していることになる。

 11月の報道がなされてすぐ、まずはダメもとで野村貿易に申し込みをした。しかし、案の定、製品番号から正規品でないことが確認されたので配布はできないとのメール返信があった。無償でなくとも代金を支払っても良いとまで書いたが、そもそもマクラーレン社から送られて来た数が正規分しかないので販売もできないとの回答であった。その時点で、ガリバーのホームページ(楽天)を見ると、一応ことの次第については大きく注記されていたものの、マクラーレンは正規分しかカバーを作っていないので、自分たちの所には回って来ない、しかし安全に十分気をつければ使用し続けられると書かれてあった。そして、そうした注意書きとともに、補修カバーなしのマクラーレン・ベビーカーは売り続けられていた。

 なぜ、正規でない並行輸入業者には補修カバーが配布されないのか。これについては後日、日経新聞で知ったが、マクラーレンとしては、正規で卸したもの以外は本当に自社の製品であるのか否かを確認できないとしている、と。また一方で、並行輸入業者に売れ残り品を安く卸している小売店は、その卸したものが売れ残った正規のものだとはマクラーレンに言えない、もし言えば次回から数を減らされるという構図になっているということだった。

 では、いったいこの問題は誰がどのように解決するのだろう。わが家に無償カバーがくる日は来るのか。おそらく来ない。事故が心配なら他のに買い替えろ、ということなのだろう。泣き寝入りの公算が強くなり、関係サイトのブックマークもすでに外していたところ、この期に及んで、ガリバーら並行輸入業者が集まって独自に補修カバーを作り、無償配布を行なうこととなった。今回うちに届いたのは、ガリバーからである。(新聞記事が出て、ガリバーのホームページ(楽天)を見たら、申し込み画面が出ていたので申し込んだ。)

 補修カバーについては、写真を載せるのは面倒なので、見たい方は検索すればすぐヒットすると思うので見ていただければ分かるが、なんてことはない、ちょこっとしたものである。原価いくらもしないんじゃないか、きっと。どうしてこんな簡単なものを配布するのに4ヶ月もの時間がかかってしまったのだろうと首を傾げざるを得ない。

 ガリバーら並行輸入業者は、昨年11月末の時点で、つまり野村貿易の対応が発表された時点で、すぐに独自に作ることに決めて、ひと月足らずで配布を可能にするべきであったんじゃないかと思う。どうせ作ることになるのであれば、早めに作ることにした方が格段に消費者の益になったし、ここまで問題を引きずらなかった。

 マクラーレン社については、言うまでもないことだが、自社製品の大事故につながる怖れのある重大欠陥の補修カバーを小売りに作らせるという事態が驚きというか、信じられないというか、いったいどういう会社なのか。一時期「セレブ」と持てはやされた、おごりが感じられる。おそらくそれでもマクラーレンは、お宅の購入したのはうちが作ったものではない、と言うかもしれない。たしかにそれは購入した者にも分からない。でもそれなら、日本に正規に卸した製品番号だけを照合するんじゃなくて、全世界に輸出した製品番号との照合をすれば良かったんじゃないか。そうすれば、バッタもんか否か、ハッキリしただろう。

 野村貿易の対応については理解できなくもない部分はあるが、しかし、ことは事故につながる問題なのであるから、マクラーレンに物を申すなり、正規分で余っているものを時期を見て正規外の消費者にも配布するなどの、言わば人道的な対応が取れなかったのか、とは思う。実際、経産省と消費者庁の2月5日付け同時発表においては「野村貿易株式会社においては、「安全対策カバー」の配布を進めており、現在、既販売分約17万台に対して、約16万セットのカバーを入手し、消費者から要望のあった約5万セットについては、既に配布を完了しているとの報告を経済産業省で受けております」とあり、つまりは野村貿易の中で、カバーが約11万セットも余っていたことになるのだ。これは、カバーなんて要らないという人には大した話ではなかろうが、自分のようにカバーを待ち望んでいた人間にとってはやるせない事態である。

 ともあれ、これにより、今後ベビーカー市場は国産に流れると見た。わが家も、今のマクラーレンを使いつぶした暁には、自由な気持ちでいろいろなベビーカーを物色してみたいと思う。もちろん、マクラーレンは二度と買わない。

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