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井形慶子『老朽マンションの奇跡』 [本]

 年末年始の休暇中、新聞広告で気になっていた本(2009年、新潮社)。
 帯には、こうある。
 
「住みたい街No.1」吉祥寺で築35年のメゾネットを500万円で買って「ロンドンフラット」に再生!

 東京で「持ち家願望」を持つほどむなしいことはない。
 確実に、その持ち家は、地方にある実家と比べて、極端に狭いだろうし、極端に高すぎるであろうから。

 それでも、2年ほど前、ちょっとどんなもんかと思って、散歩がてら、近場にできる予定だったマンションと、戸建のモデルルームを見てみたことはある。しかし、それがビックリ。マンションは、「まあ最低これくらいの広さはないとな」と思った部屋が、なんと1億。戸建は、2階建ての1階がキッチンとリビングのみで、2階に寝室ともう一部屋で、マンッションの部屋をムリムリ2階建てにした感じ。それが6千万。はっきり言って、何の予備知識もなかったから、これには目玉が飛び出た。誰がそんな大金出してわざわざこんな狭い家を買うんだろう、と思った。お金持ちが買うんだろうが、負け惜しみで言うと、たぶん自分がそれだけ金持ちでも、こんなものは買わない、と思った。

 その後、勝間さんの『お金は銀行に預けるな――金融リテラシーの基本と実践』(2007年、光文社新書)を読んで、ますます持ち家から遠ざかり、むしろ「(東京で)家を買う人は世の中を分かってない」とさえ思っていた。勝間さんの論旨はというと、持ち家=不動産は今後、価値が下がることはあっても上がることはない、ゆえに不動産に投資するよりも、もっと良い投資先はある、ということであったと思う。だから、富裕層であっても家を持たず、都心に賃貸する人が増えているんだと。また、住宅ローン減税など、政府が盛んに家を持たそうとするのは、家を買うと人は家具や家電を買いそろえるので、非常なる経済効果があるから、景気の底上げのためにやっているのである。それに、大手の都市銀行などは、まともな投資行動などもせず、リテール分野でいうと住宅ローンくらいしか儲かる商品はないので、都市銀行ももちろんその政策に乗っかる。という話であったと思う。

 なにも勝間さんだけでなく、例えばあの有名なロバート・キヨサキの『金持ち父さん、貧乏父さん』(2000年、筑摩書房)においても、舞台がアメリカという大きな違いはあるけれど、ローンを組んでまで(=借金してまで)家を持つのは「貧乏父さん」なのであった。

 たまに、「どうせ賃貸料を毎月払うのなら、それが将来自分の物になった方が得じゃないか」と言う人がいるけれど、固定資産税を含めた場合、果たして現在支払っている毎月の賃料で買える家は、どんな家だろう。今、借りている部屋よりもグレードは下回るのではないかと思う。そんな家であっても、自分の物になった方が得なのだろうか。マンションであれば、大型修繕の時期もあるし、建物自体の寿命もあったり、家族編成の変化によって、数年単位で住み替えをしなくてはいけないと聞く。その時、果たして自分の願った通りに売り抜けて、また新たな住まいを難なく見つけられるのであろうか。戸建の場合だと、やはりメンテナンス費用を自分で積み立てて行かなくてはならないだろう。それを日々(かどうか知らないが)、考えていかなくてはいけないというのも、また大変なオポチュニティー・コストだと思う。そんな時間が、今の自分にあるか(いやない)と自問せざるを得ない。

 そもそもが、同じ会社の先輩で家を持っている人を見てみると、知っている人では、必ず自分か配偶者が東京が地元の人で、必ず皆、親からの遺産・援助があって初めて家を持てている。うちの子どもの保育園のお友達でもやはり、家を持てている人のほとんどは、東京のこの地区が地元で、親(祖父母)が近くに住んでいる。家を持つにあたり援助があったのかどうかまでは分からないけれど(ちょっとふつう聞けないですよね)。

 よって、挙げたらキリがないほど、自分にとって、東京における持ち家というのは実現不可能な夢なのだ、と思っていた。が、しかし、この本である。やはり気になって、手に取ってしまった。

 本書は、冒頭から、東京に出て来た若者が、いかに給料を住居費として搾取され、狭い部屋で暮らさざるを得ない日常を送っているかという、著者の義憤から始まって、全編を通しそれに尽きていると思う。もちろん、メインは帯にあるような中古物件のリフォームの話や、新築マンションを安く買った例など、実用書としての役目を果たしている。そのメインの話を支えている著者の姿勢の根元には、日本の住宅政策の見えてなさ、への憤懣があると思う。それが共感できたし、評価したい。

 上に述べた勝間さんの言っていることは、最近の著書のタイトルにあるように「起きていることはすべて正しい」ということがあるのであろう、すでに与えられた所与の条件における(経済)合理的な判断、というレベルの話である。そのように、現状を肯定してみるなら、家を持つのは非合理的である。しかし、家を持つのが非合理的になってしまうという社会が本当に良いのか、というのは別の話なのである。本書は、そこを突いている。家を持ちたいと願う人が持てるようになるためには、を述べようとしているし、そこを目指している。

 とはいえ、井形さんの述べていないことで、その辺はどうなっているの?と思うポイントはいくつかある。例えば、中古マンションの管理組合の問題、大型修繕の問題、住み替えの問題、などである。マンションはとにかく管理組合がしっかりしている方が良いと聞くし、また大型修繕を考えるなら費用的には戸数の多い大型が良いとも聞く。今回本に登場するマンションは、戸数が少ないし、管理組合の話はない。具体的には、その辺がもっと知りたい点ではある。でも、それを本当に知りたければ、別の実用書に書いてあるのだろうと思う。

 きしくも、10日ほど前から日経新聞の経済教室面で、「住宅市場の新潮流」という連載が始まった。これなども合わせて読むと、非常に勉強になる。要するに、「新潮流」とは中古市場のことを言わんとしているようだ。なぜ日本の住宅家屋は欧米と比べて寿命が短いのか、なぜ日本では家族が住める賃貸物件が少ないのか、という当然の疑問を取り上げている。こうしたことは、おそらく日本ではこれまでタブーだったのではないかという気がする。なぜなら、それによって日本の会社が成り立っていたのだから。こうした住宅政策・住宅市場についての真相がもし明確に指摘されるなら、日本における経済構造を一挙に変えることになるのではないかと思う。

 ちなみに、2/8号の『日経ビジネス』は、中古物件の特集であるらしく、その関係もあってか、井形さんのインタビューがサイトに載っている。今週、これも買いかもしれない。

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