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苅部直『丸山眞男』 [本]

 苅部直『丸山眞男――リベラリストの肖像』(岩波新書、2006年、サントリー学芸賞受賞)を読んだ。

 丸山真男については、学生時代に岩波新書の『日本の思想』を読んだ記憶があるだけで、それも恥ずかしながら内容はあまり覚えていない。だから、本書を通して初めて丸山真男とは何者かというクリアな印象を与えられたように思う。本書を読んで、興味を持った点、共感した点、少なからず感銘を受けたと思われる事柄について、簡単に書き出しておきたい。

 ① 丸山真男の人となり、すなわち生い立ちと学生時代について

 最初に、まず意外だったのが、丸山真男の父、幹治が新聞記者であったことである。父は新聞社を転々としているのだが、最初期に勤めたことがあるのが、陸羯南(くが・かつなん)が社長兼主筆をつとめた新聞「日本」であるという。昨年12月にNHKで放送された司馬遼太郎の「坂の上の雲」のドラマで、正岡子規が、この新聞「日本」の記者として登場してきたので、自分の中ではタイムリーだった。

 学生時代についてだが、青年丸山はマルクス主義者でも、左翼でもなかった。ただ、父の知り合いであった長谷川如是閑を尊敬していたというだけである。誤解から特高に捕まったという苦い経験があるが、しかし、マルクス主義にシンパシーはなかった。東京帝国大学の学生であった当時の丸山は、自由主義知識人の方が、政府や国粋主義者からの抑圧にあってバタバタと寝返っていく左翼知識人よりも厳しく節を守って抵抗している、と見ていた。戦後の回想では、口で言っている思想だけでは分からないものだと語っている。その一方で、父の交遊の関係で、天皇への親近感と崇敬もあった。戦後直後、この気持ちを断ち切るのに、意外なほど苦労している。

 ② 現実の政治に対する態度決定について

 市民の政治へのコミットについて。丸山は戦後直後結核を起こし、結核療養所に入所していた時期に、診療費値上げに反対する患者たちの反対運動に身近に接する機会があった。また1960年の日米安保条約改訂反対運動に、一人の論客として参加した。これは、有名な演説「選択のとき」としてよく知られているとのことだ。こうした体験から、いろいろと思い悩みつつ、市民の政治活動については非常に現実的で冷静な見方をしていた。

 特に注意を惹かれたのは、市民は元来保守的なものであって、政治へのコミットは必要に迫られてのイヤイヤながらのものである、という丸山のコメントである。ここで丸山が気にしたのは、いわゆる市民運動と言いつつも、もっぱらそれに専従する言わば「プロの市民」によって運動が先導されていることの不自然さである。市民は、その時々の行政に対する要求に応じて、職場なり地域なりで、その時々で結束し、議員に要望を伝えるなり署名を集めるなりして目的を達すれば、また散会し、また何かあれば目的に応じて集う、そのようにするのが本来市民的な政治へのコミットであると言う。それで良いんだ、と言う。丸山が恐れていたのは、「市民」が暴徒化し、ポピュリズムに陥ることであったようだ。実際、1960年安保闘争の時に、いっしょに首相官邸に入った清水幾多郎がさらなる座り込みで首相との面会を求めようとするのに対して、丸山は、「清水さん、こういうのは自分の趣味じゃないし、民主主義にも反すると思うんだが」と言ったという。

 ③ 丸山の学問的関心について

 丸山は、政治思想史の研究と政治学の理論的研究を二つながら合わせて論究した人なんだと思う。そして、それらの学問的関心は、丸山自身の現実政治への態度決定と不可分に結び合っていたように感じられる。丸山の追究したテーマは、今この時代にも通じるようで、読んでいて新鮮だった。そうした丸山が追究した学問的テーマの中で、自分が今後少し考えてみたいと思わされた題材を二つを取り上げたい。

 一つは、丸山真男が早い段階、助手論文時代から論究していた、国家と個人の間に位置づけられる「人間仲間」という中間集団である。この言葉は、福沢諭吉による「ソサエティー」の訳語であると本書には書かれている。これは、国家によって個人が牛耳られないように、また個人が個々の利己的な方向に暴走しないための倫理性の管理としての関係性として丸山が設定したものであり、結局丸山の生涯を通じた思想の一つの柱になったようである。国家と、個人の間に設ける中間的集合体。しかし、これは、個人を縛ることになる可能性もあるように思われるが、どうなのだろうか。国家がはっきりとした弾圧を加える前に、周囲の人間関係が圧力を加えるということの可能性が高いという気がする。単純な人間の集団でも、結局は異なるものを排斥しようとするし、それほど簡単ではなさそうに思えた。

 もう一つは、丸山が悩んだ西洋的個人主義について。上記の事柄とも非常に関係するが、丸山は、人間の理性についてどう考えたらいいかということを悩んでいたようだ。
 座談では、「伝統的個人主義をいわゆる原始的な個人主義として見れば、全ての人間に備わっている理性というようなものによってくくられてしまう。ですから、啓蒙の個人主義をつきつめていくと類的人間になるんですよ。そういう普遍的理性によってくくられない個、ギリギリの、世界に同じ人間は二人といないという個性の自由は、むしろ、啓蒙的個人主義に抵抗したロマン主義が依拠した「個」です。この西欧的な個人主義に内在する矛盾の問題はぼく自身も解決がつかない。」と語っているという(本書192頁に引用)。
 これについては、もちろん歴史を経て現在を生きているわれわれとしては、近代的理性、近代の個性礼賛を前提に考えざるをえないのではあるけれど、それでももし丸山が西洋近代から遡って、西洋中世の人間観をかいま見いていたら、現代にどのような方向性を見出していたのだろうかと思った。
 
 以上、本書を読んでいる間は非常に高揚していたが、こうしていざ書いてみると、なかなかうまく行かず、書き始めてから、放置期間も入れて一月かかってしまい、結局高揚感をうまく表現することができなかった。ただ、要するにまとめると、一番言いたかったのは、丸山真男が常に、この日本という国でリベラルであるとはどういうことかを考え続けたということが、自分にとってとても大きかったということです。

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